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子どもの性的虐待、教会が多額和解金 [西欧文明]

                                (感想) 米、英、ともども聖職者が地に堕ちている。
                                         枢機卿、神妙な顔で法王選出 (笑)


教会が虐待被害者と和解、ロス 枢機卿が隠蔽の疑い
    2013/03/13 12:34 【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/201303/CN2013031301001220.html

 【ロサンゼルス共同】カトリック教会のロサンゼルス大司教を務めたマホーニー枢機卿が、神父による子どもへの性的虐待を隠蔽したとして訴えられ、教会側が被害者4人に計約1千万ドル(約9億6千万円)を支払うことで和解したことが12日、分かった。米メディアが被害者の弁護士の話として報じた。

 枢機卿は、12日に始まった新たなローマ法王を決める選挙(コンクラーベ)に参加している。

 問題の神父は1974~2000年の間、子どもたちを虐待。86年にマホーニー枢機卿に虐待を告白したのに、神父としての仕事を続けた。引退後に訴追され、07年に有罪判決を受けた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


英カトリック最高位の枢機卿、「不適切な性的行為」認め謝罪
    2013年03月04日 14:19 発信地:ロンドン/英国

http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2932096/10382119

【3月4日 AFP】不適切な性行為疑惑が報道され、英国におけるカトリック教会最高位のスコットランド・エディンバラ大司教を先週辞職したキース・オブライエン(Keith O'Brien)枢機卿(74)が3日、「立場にふさわしくない性的行為があった」と認め、謝罪した。

 英紙オブザーバー(Observer)は前月、オブライエン枢機卿が1980年代に複数の司祭らにセクシャルハラスメントを行っていたと報じた。同紙が掲載した司祭たちの証言によると、オブライエン枢機卿は夜の祈祷や会食などを利用して司祭たちに不適切な接触を要求したとされる。

 オブライエン枢機卿は当初疑惑を否定していたが、前月25日にセントアンドルーズ(St Andrews)とエジンバラ(Edinburgh)の大司教職を辞任した。オブライエン枢機卿としては今月、教会の退職年齢である75歳の誕生日を待って退任する意向だったが、当時のローマ法王ベネディクト16世(Benedict XVI)が即時辞任を求めたという。

 3日の声明でオブライエン枢機卿は「私の性的な品行には時に、神父として、大司教として、枢機卿として期待される規範に劣るものがあったことを、この機会に認めたい」「私が傷つけたカトリック教会とスコットランドの人々に謝罪する」と述べた。今後は英国内でのカトリック教会の職務から一切退くという。

 オブライエン枢機卿は、前月末で退位したベネディクト16世の後継のローマ法王を選ぶ法王選挙会(コンクラーベ)に英国から唯一出席する予定だったが、これについても欠席を発表した

 ベネディクト16世が在位中の8年間に、ローマ・カトリック教会では多数の醜聞が噴出した。オブライエン枢機卿のほかにも、コンクラーベ参加資格を持つ4人の枢機卿に児童への性的虐待疑惑が浮上している。(c)AFP/James Pheby

レスリング削除に対応、米イラン会談も [西欧文明]

                                (感想) 核開発問題で溝が生じた米とイランが共闘か。
                                        思わぬところで五輪の理念が活きる。

                                     兎に角、筋の通った説明がないままとは。
                                         IOC は、信用をかけて対応せよ。


レスリング残留10か国会合へ…米イラン会談も
    2013年 02月20日 03時16分  提供元:読売新聞

http://news.so-net.ne.jp/article/detail/797173/?nv=c_article_related_text     20130219-538560-1-L.jpg

 【テヘラン=酒井圭吾】国際オリンピック委員会(IOC)が2020年五輪からレスリングを除外候補としたことを受け、存続を目指す日米露やイランなど10か国以上の関係者が20日にもテヘラン市内で会合を行うことがわかった。
 19日テヘランで開幕したワールドカップ(グレコローマン・フリースタイル)に合わせたもので、大会期間中には断交している米国とイランの2国間会談も検討されている。
 ワールドカップ関係者によると、会合は地元イランが呼びかけた。日本などはレスリング協会役員をイランに派遣していないが、イラン側は選手団の監督などの参加を呼びかけている。17日までタイで開かれた国際レスリング連盟(FILA)理事会と違い、決定権はないが、理事がいないためFILA会議に参加していなかったイランも含めたレスリング強国が共闘を確認し、ロビー活動の方法などで意見交換するという。
 米イラン会談も調整が進んでおり、米レスリング協会のミッチ・フル理事は「我々の話し合いに世界が注目してくれるならインパクトがあるだろう」と述べ、両国が核開発問題などを巡る対立を超えて協力する姿勢を示すことで、存続への熱意をIOCに訴える効果があると強調した。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


レスリング除外、西側諸国の策略…イラン猛反発
    2013年 02月15日 07時38分  提供元:読売新聞

http://news.so-net.ne.jp/article/detail/795565/?nv=c_article_related_text

 【テヘラン=酒井圭吾】国際オリンピック委員会(IOC)が2020年夏季五輪の実施競技からレスリングを除外する可能性が高まった問題で、レスリングの強豪国として知られるイランも猛反発し、地元メディアは「イランからメダルを奪う西側諸国の策略だ」などと批判している。
 IOCのホームページによると、イランはこれまでの五輪で得たメダル計60個のうち38個をレスリングで稼ぎ出している。昨年夏のロンドン五輪でも、金3個を含む計6個のメダルをレスリングで獲得している。
 イラン五輪委員会の広報担当者は読売新聞の取材に「除外理由についてはっきりした説明がない」と憤慨。同委は14日に緊急会議を開き、IOCに抗議文書を送ることを決めた。会議ではまた、日本やロシアなど他の強豪国と一緒に、実施競技に復活するようIOCに働きかけることも確認した。同担当者は、核問題で対立するレスリング強国の米国とも「共闘する準備もある」としている


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レスリング五輪「半々以下かも」
    2013年 02月13日 18時46分  提供元:共同通信

http://news.so-net.ne.jp/article/detail/795021/?nv=c_article_related_text    PN2013021301001784_-_-_CI0003.jpg

 2020年五輪からレスリングが除外される危機となり、記者会見する日本レスリング協会の福田富昭会長(中央)。手前はロンドン五輪金メダリストの米満達弘選手=13日午後、東京都渋谷区の岸記念体育会館

 レスリングの2020年五輪除外問題で、日本協会の福田富昭会長は13日、東京都内で記者会見し、競技の五輪存続は「半々以下かもしれない。相当エネルギーを使わないと巻き返しは大変だと思う」と厳しい認識を示した。レスリングは20年五輪入りを目指し、野球・ソフトボールなどほかの七つの候補と1枠を争う。国際オリンピック委員会(IOC)は理事会が20年五輪の中核競技からレスリングを外した理由を説明していない

言霊/法王(鳳凰)から教皇(恐慌)へ [西欧文明]

                               (感想) ローマ法王辞意の一報から、「法王」。
                                  12日に色んな記事を見ていた時は、そうだった。
                                  15日に、Wiki を覗くと、「教皇」の字が増えていた。
                                     B16世の仏教非難の一文も消えていたし。

                                  教会関係者が、必死に手直ししている、という感じ。

                                  だから、敢えて言う。
                                     日本語は、漢字の意味と音が、相互作用する。

                             「法王」 と和語を作った当時の信者は、
                                   宇治の平等院の鳳凰堂を思い描き、
                                   自由に大空を舞う鳳凰に敬意を表したのだろう。
                                      自由で雄大な信仰への信頼だった。

                             「教皇」 という言い方、「教える」という語を選んだ。

                           宗教とは教えるものか?
                                自らが手本となり体現することで、人々が学ぶ。
                                教える者と教わる者、という発想そのものが独善。

                           まあ、そんな感じで、教皇は恐慌であり、強行でもある。
                                   上から目線で、持論を強行なんてお断り。
                                音の印象から、「法王」 を使い続けようと思うのである。



カトリック中央協議会

「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい?

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/memo/pope.htm

● 「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい?

「新聞を見ると『ローマ法王』と書いてあり、教会の文書には『ローマ教皇』と書いてあります。どちらが正しい表記ですか?」 このような質問が多く寄せられます。簡単に説明します。

教会では「ローマ教皇」を使います。

 以前はたしかに、日本のカトリック教会の中でも混用されていました。そこで日本の司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一することにしました。「教える」という字のほうが、教皇の職務をよく表わすからです。

その時以来、たびたびマスコミ各社に「ローマ教皇という名称を使ってください」とお願いしていますが、残念ながら実現していません。


● バチカン大使館は、「ローマ法王庁大使館」

 ところが東京都千代田区三番町にある駐日バチカン大使館は「ローマ法王庁大使館」といいます。
なぜでしょうか?
 日本とバチカン(ローマ法王庁、つまりローマ教皇庁)が外交関係を樹立した当時の定訳は「法王」だったため、ローマ教皇庁がその名称で日本政府に申請。そのまま「法王庁大使館」になりました。日本政府に登録した国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り、変更できないのだそうです。
 こうしていまでも「法王」と「教皇」が混用されているのです。
 
 皆様には、「教皇」を使っていただくよう、お願いする次第です。

タグ:法王

証拠/ファティマ第3予言は暗殺でない [西欧文明]

                                 (感想) 2000年のこの一件が、
                                         現在のバチカンの本質を物語る、と考え、
                                      前記事の考察となった。

                                     参照: 「法王退位、オリーブ旗・国連が位を退く


ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ファティマ第3予言、暗殺でない
    2007年01月25日08:35

http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/50523131.html

 ポーランドのローマ・カトリック教会クラクフ大司教のスタニスラフ・ジヴィシ枢機卿(67)は前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世との思い出を綴った著書「カロルとの日々」(仮称)を発表する。カロルとは、クラクフ大司教時代のヨハネ・パウロ2世の本名「カロル・ボイチワ」を指す。

 同大司教は、1960年代のポーランド教会時代から亡くなるまでヨハネ・パウロ2世の個人秘書を勤めてきた聖職者だ。同大司教以上に前法王を知っている人物は聖職者の中にはいないだろう。その人物が前法王との日々を記述しているのだ。ローマ・カトリック教会信者でなくても、一度は読んでみたい本だろう。「カロルとの日々」はポーランド語の本だ。英語などに翻訳されるまで読む事はできないが、幸い、「ラジオ・バチカン」が24日、その著書の概要を紹介している。

 著書は、故ヨハネ・パウロ2世が1981年、暗殺未遂事件に遭遇して重体となった時の状況を詳細に記述する一方、法王が回復後、拘束中の犯人アリ・アジャ服役囚を訪問した時、アジャは許しを請うのではなく、「どうしてうまく射殺できなかったか」を説明するのに腐心していたという。問題は次だ。「ヨハネ・パウロ2世は最初、自分の暗殺未遂事件をファティマの第3予言と関連して受け取っていなかった」と述懐しているのだ。ファティマの予言とは、聖母マリアが1917年、ポルトガルのファティマに再臨して、羊飼いに託した内容を意味する。

 教理省長官であったヨゼフ・ラツィンガー枢機卿(現ローマ法王べネデイクト16世)は西暦2000年、「第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺を予言したものであった」と公表し、「ファティマの予言」問題に幕を閉じたことを思い出してほしい。しかし、肝心のヨハネ・パウロ2世は当時、自分への暗殺事件と第3予言との関連に何の特別の感慨も持っていなかった、ということが明らかになったのだ。

 「ファティマの第3予言」の内容を知っていた聖職者は当時、2人いた。1人はヨハネ・パウロ2世であり、もう1人はラツィンガー枢機卿だ。その教理省長官が説明するように、第3予言の内容がローマ法王暗殺を指していたとすれば、暗殺未遂事件直後、ヨハネ・パウロ2世はその意味内容を誰よりも理解できる立場にいたはずだ。しかし、ヨハネ・パウロ2世は当時、暗殺事件と第3予言の関連に何も言及していないのだ。これは何を意味するのだろうか(故ヨハネ・パウロ2世自身は著書「記憶とアイデンティティー」の中で、81年の暗殺未遂事件の黒幕を「共産主義国」と示唆している)。

 繰り返すが、ジヴィシ大司教は前法王の言動を誰よりも熟知していた聖職者だ。その大司教が「ヨハン・パウロ2世が暗殺未遂事件をファティマの第3予言との関連性から捉えていなかった」と証言する以上、「第3予言」はまったく別の内容であった可能性が出てくるわけだ。それでは何故、バチカン法王庁は「ローマ法王暗殺事件を予言していた」と発表することで「第3予言」問題に終止符を打とうとしたのだろうか。ファティマの「第3の予言」は依然、封印されていると見て、間違いないのではないか。

タグ:法王

法王退位、オリーブ旗・国連が位を退く [西欧文明]

  (考察) 最後のミサで、教会内での不和に言及。 (第1記事)
            他の宗教を非難するんじゃ、内部だって纏まりはしない。・・ とか思っていたら・・・・

          イスラム教や仏教を排除する発言。(第6記事)
                その仏教への発言が、Wikipedia から削除されていた。
                  都合の悪いことは隠す・・・・ 本質を突いているからだろう。

       ということで、B16世のウィキ項目に書かれていないことを考えてみた。
          2000年の、ファティマ第3予言の公開に関することが触れられていない。

             教皇庁教理省が最終公文書を発表、とある。(第5記事:ファティマ)
                この時、彼が教理省の長官だった。(第6記事)
                    、同時に枢機卿団の次席枢機卿だった。
             法王でも、首席枢機卿でもなく、教理省長官が取り仕切っている。
                       (法王しか目にすることが出来ないのに)。

                 この予言を、一番隠したかったのは、彼だろう。

        1960年になったら公開せよ、という予言だったのに・・・・都合が悪かった。
          「一群の兵士達によって、白衣の司教ら大勢の高位聖職者達が射殺される」 (第5記事)

       ひょっとしたら、 バチカンの悲劇が最たるものではないか。

           マラキの予言では、次のように記されている。(第4記事)
               ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう
                   ローマびとペトロ 、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。
                   そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。

最後のミサでの「組織内の不和」への言及が報道され、(第1記事)
           バチカンの象徴するものが退位する(尊敬される地位を去る)、と考えてみる。

退位する法王の象徴は、オリーブ。(第4記事)
           同じように、オリーブが象徴するものを探してみた。

           シンボルとしてのオリーブ
              国際連合の旗  イタリアの国章  イスラエルの国章  (第2記事)
           国樹としてオリーブを挙げている国
              イスラエル、パレスチナ、キプロス、ギリシア (第3記事)

マラキの予言にいう 「7つの丘の町」 は、現在の世界観の象徴ではないか。
                    丘: 低地ではなく、見晴らしの良い立場。
                    町: 人間が金で取引する場所。

              国連の常任理事国5カ国 + イタリア(バチカン) + イスラエル。
           そして、イタリアには、ギリシア・ローマの伝統が象徴され、
                イスラエルには、パレスチナとの宗教対立が象徴される。

      時を同じくして、IOCは、ギリシアからのオリンピック種目、レスリングを捨て去った。
           欧州至上主義、とか、キリスト教とか、ではなく、
               キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、の一神教。
               一党独裁の共産主義も含めて、自分が一番、という優越思想が敗退する。

                    それが、ファティマ・マラキの教えるところではないか。

最後に、オリーブの前は、太陽が象徴されている。(第4記事)
           太陽が象徴するのは、日本である。

      オリーブの崩壊を防ぐには、太陽の法王の時代に、
            ファティマの第3予言を公開し、打つべき手を打たねばならなかった。
                「太陽の働き(作用)によって」 と助言されていた。
             「太陽の働き(作用)によって」 → 「オリーブの栄光」 が維持できた・・・・。

          しかし、日本が怖かった。  「八百万の神々」なんて理解できないのだから。

      だから、仏教を非難し、第3予言の公開を阻み(嘘で誤魔化し)、自ら退位する。
          それこそが、オリーブに象徴される世界が、優位性を失うことを物語っている。


やはり、仏教非難の一文を削除したのは、大きな意味があった、ということになる。

           新しい国際秩序の創建に力を尽くす、その覚悟から逃げた・・・・ のであろう。
                            参照: 「ローマ法王の辞意、何から逃げるためか」 (12日)



    
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ベネディクト16世が最後のミサ「不和に直面」
    (2013年2月14日17時39分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130214-OYT1T01066.htm

 【ローマ=末続哲也】ローマ法王ベネディクト16世(85)は13日夕、2月末の退位前では最後となる公の場でのミサを、法王庁(バチカン)のサンピエトロ大聖堂で行った。

 法王がミサを終えると、約8000人の信徒から大きな拍手や「法王万歳」との喝采が送られた。

 この日のミサは、カトリック教会の「四旬節」(復活祭前の40日間)開始を告げる「灰の水曜日」の恒例行事。例年は別の小規模聖堂で行われるが、退位表明を受けて急きょ、多くの人が参列できるようにとサンピエトロ大聖堂に会場が移された。

 法王はミサで、「教会は時折、組織内の不和に直面している」と述べ、結束を求めた。昨年、法王あての内部告発文書が漏えいした事件では、背景にバチカン内の権力闘争があると指摘されていた。


◇ ◇ (2) ◇ ◇


オリーブ    Wikipedia

シンボルとしてのオリーブ

オリーブの枝は、ハトとともに平和の象徴とされることが多い。これは『旧約聖書』の「神が起こした大洪水のあと、陸地を探すためにノアの放ったハトがオリーブの枝をくわえて帰ってきた。これを見たノアは、洪水が引き始めたことを知った。」との一節に基づいている。

国際連合旗や、幾つかの国の国旗や国章にも使われている。イタリアの政党連合にも「オリーブの木」というのがあった。

日本では、香川県の県の木、県の花に指定されている。


    Flag_of_the_United_Nations_svg.png Emblem_of_Italy_svg.png Emblem_of_Israel_svg.png 

(左から)   国際連合の旗             イタリアの国章             イスラエルの国章



◇ ◇ (3) ◇ ◇


国花    Wikipedia

国花(こっか、英: Floral emblem)とは、その国民に最も愛好され、その国の象徴とされる花である。


各国の国花

表を見るにあたっての注記について記載する。
● 国樹 は、公式、慣習上を問わず国樹、国木としての意味が強いものを示す。
● 歴史 は、現在は当該国の官民ともに国花としての意識はないのだが、歴史的経緯から稀に国花として扱われることがあるものを示す。

国樹 にオリーブが記載されている国: イスラエル、パレスチナ、キプロス、ギリシア
        (ポルトガルにもオリーブの名があるが、国樹は別である)。


◇ ◇ (4) ◇ ◇


全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言    Wikipedia

目次: 3 予言リスト
       3.1 『生命の木』で注釈がついていた最初の74人分
       3.2 『生命の木』では予言のみが示されていた残りの37人分と最後の散文  (下記はその末尾)

103.燃えさかる火 Ignis ardens- ピウス10世(1903-1914)
彼の在位期間最後の月に第一次世界大戦が勃発した。ほか、1908年のツングースカ大爆発と結びつける者もいる。

104.人口が減らされた宗教 Religio depopulata- ベネディクトゥス15世(1914-1922)
彼の在位期間は、第一次世界大戦、スペインかぜの流行、ロシア革命と、キリスト教人口の大幅な減少につながる大事件に次々と見舞われた。

105.大胆な信仰 Fides intrepida- ピウス11世(1922-1939)
彼はナチスや人種差別問題を敢然と批判した。また、ラテラノ条約によりバチカン市国を確立した。

106.天使的な牧者 Pastor angelicus- ピウス12世(1939-1958)
彼自身がある種の幻視者とされるなど、神秘的な要素をもつ人物だったと解釈される。

107.牧者にして船乗り Pastor et nauta- ヨハネ23世(1958-1963)
彼は水の都ヴェネツィアの総大司教だった。 真偽は不明だが、この教皇が選出されたコンクラーヴェの期間中、アメリカ人枢機卿スペルマンは、この予言を意識して、羊を載せた小舟を使ってテヴェレ川を往復したという(この出典はPeter Bander, The Prophecies of Malachy, 1969のようである)。 17世紀の版では「牧者と自然Pastor et natura」となっているものもあるが、信奉者たちからは無視されている。

108.花の中の花 Flos florum- パウロ6世(1963-1978)
彼の紋章は「花の中の花」とも言われる百合だった。

109.月の半分によって De medietate lunae- ヨハネ・パウロ1世(1978)
彼は半月の日に生まれた。また、教皇就任の日に下弦の月だったことなどと結びつけられることもある。

110.太陽の働き(作用)によって De labore solis- ヨハネ・パウロ2世(1978-2005)
彼は1920年5月18日[1]インド洋上で部分日食が観測された日に生まれ、2005年4月2日に84歳で他界した。2005年4月8日[2]に南太平洋から中南米にかけて、珍しい「金環皆既日食」が起こった。また彼は地動説を提唱したコペルニクスが学び、その学説の基盤を作ったポーランドのクラクフ近郊の産まれである。

111.オリーブの栄光 Gloria olivae- ベネディクト16世(2005-)
彼が襲名したベネディクトは聖ベネディクトゥスと結びつきが深い(ベネディクトゥスはオリーブの枝をシンボルとするベネディクト会の設立者である)。

(112?.)
ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう In p’secutione. extrema S.R.E. sedebit.

ローマびとペトロ 、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。Petrus Romanus, qui pascet oues in multis tribulationibus: quibus transactis ciuitas septicollis diruetur, et Iudex tremendus judicabit populum suum. Finis.
この散文は、『生命の木』やルスカの版では2段落に分かれていた(上記の訳はその区切り方に従った)。これを一段落にまとめたのは、1624年のメシンガムの版が最初であり、以降その読み方が、主として信奉者の間では踏襲されている(かつては、信奉者の中には「オリーブの栄光」の後に「極限の迫害の中で」と「ローマびとペトロ」に対応する2人の教皇が控えていると解する者もいたようである)。
これを112番目と見なすことには異説がある。オリジナル(信奉者にとっては聖マラキの手稿、偽作説にとっては1590年の手稿)には含まれていなかったのではないかという疑問や、前段が結句で後段はチャコンが勝手に付け加えた注釈にすぎないという見解が提示されている。これらの見解では、予言本体は111番目で終わっており、ローマびとペトロ云々はそもそもこの文書と無関係だった、ということになる。
ちなみに前半については、(一般にp’secutione.が「迫害 persecutione」の略と見なされており、直後のピリオドは無視されているのに対し、prosecutioneの略と見た上でピリオドも活かし)「(予言はここで)区切り。ローマ聖教会は終末までその地位にあるだろう」と意訳する者もいる。
全てひとまとまりと捉える信奉者の解釈では、『ヨハネの黙示録』からの流用とする説や、(初代ローマ教皇ペトロの名は、いまだかつてどの教皇も襲名していないことから)ニセ預言者とする説などもある。ちなみに、一般に「7つの丘の町」はローマのことであるが、信奉者の中にはニューヨーク と曲解する者もいるようである。


◇ ◇ (5) ◇ ◇


ファティマの聖母    Wikipesia

ファティマ第三の秘密

啓示の第三部について聖母が発表を命じた1960年になっても、教皇庁は公表せず、為にメッセージの中身について、憶測が憶測を呼んだ。過去に予言されたことが、世界大戦などであった為、当時(60年代)は東西冷戦の真っ只中であったこともあり、あるいは核戦争や第三次世界大戦のことであろう、と危惧する者もいた。1981年5月2日には、アイルランド航空164便がハイジャックされたが、犯人はカトリック修道士で、要求は「ファティマ第三の秘密を公開せよ」であった。

また、60年代になってこの記録を閲覧したローマ教皇ヨハネ23世はその内容に絶句し、再度封印してしまい、続いて次代の教皇パウロ6世も再度封印を解いたが、そのあまりの内容に、数日の間、人事不省になったという。

こうした経緯の後で、2000年5月、教皇庁は、1960年以来、40年間発表を先送りにしてきたファティマの第3のメッセージを正式に発表した

公文書:「ファティマ 第三の秘密 教皇庁発表によるファティマ『第三の秘密』に関する最終公文書」[34]教皇庁教理省

また、教皇ヨハネ・パウロ2世は、2005年2月23日に著作『記憶とアイデンティティー』においてファティマのメッセージの全容に関する解釈を開示し、その内容を1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件であったと規定し、背後に20世紀に生まれた暴力的なイデオロギーに属するしっかりした組織があったと述べ、更に2005年4月に発表された遺言において核戦争なしに冷戦が終結したことを神の摂理として感謝している。

ただし、2000年に発表された文章は前の二つの預言と比べると矮小が過ぎること、前述したように40年に渡って隠匿され、60年代には当時の教皇が絶句したり発表を見送ったりする内容とはとても思えないこと、公開された「第三の秘密」は一群の兵士達によって、白衣の司教ら大勢の高位聖職者達が射殺される、とあり、1981年の事件とはあまりに食い違うことから、疑問を投げる向きもある [35]

また、「第3の預言」の内容を知っているルシアが、「それはほんの一部で、バチカンは嘘をついている」と司法省に提訴したことでも明らかである。調停によって両者は和解(ルシアの「バチカンは嘘をついている」を認めたこととなる)したが、内容を知るルシアは2005年に97歳で死去した。

すなわち、発表は虚偽、あるいは全体像ではなく一部像に過ぎないのではないか、とする声で、彼らの主張によれば、第三の秘密はまだ本格的には未公開である、とする。[36]


◇ ◇ (6) ◇ ◇


ベネディクト16世 (ローマ教皇)    Wikipedia

幼少期から司祭時代

(略) 第2バチカン公会議ではケルン大司教ヨーゼフ・フリングス枢機卿の神学顧問として活躍。公会議文書『キリスト教以外の諸宗教に関する教会の態度についての宣言』の作成において貢献した。このころのラッツィンガーは進歩的・改革的神学者とみられていた[要出典]。後にラッツィンガーは教理省長官として再び他宗教・思想との関係を論じた『ドミヌス・イエスス』を世に問うことになる。


司教・枢機卿時代

1972年、ラッツィンガーはハンス・ウルス・フォン・バルタザールやアンリ・ドゥ・リュバックらと共に神学ジャーナル『コムニオ』を発刊。『コムニオ』は今では17言語で発行されるほどカトリック神学の世界において重要なものとなっている。

1977年にミュンヘン・フライジングの大司教に任命された。このとき、彼が司教職のモットーとして選んだ言葉は「ヨハネの第三の手紙」からとった「コーペラトレス・ウェリターティス」(真理の協働者)であった。同年、パウロ6世によって枢機卿にあげられたが、2005年のコンクラーヴェにおいて、パウロ6世の任命した枢機卿のうちで生存しているものは14名、80歳以下でコンクラーヴェに参加できたものはラッツィンガーを含めてわずか3人だった。

1981年11月、教皇ヨハネ・パウロ2世は、ラッツィンガーを教理省(英語版)の長官に任命した。彼は教皇位を受けるまでその地位にあった。教理省はかつて検邪聖省といわれていたもので、古くは異端審問を担当した組織である。1982年にミュンヘン大司教区を離れ、1993年に司教枢機卿になり、1998年に枢機卿団の次席枢機卿、2002年11月30日に首席枢機卿に任命された。歴代の首席枢機卿はオスティアの名義司教であることが通例であるため、同時にオスティアの司教位も受けた。カトリック教会において是認されている教義に異を唱える神学者に対して厳しく対処するなど超保守派の代表とみなされており、「教義の番犬」とあだ名されていた。[1]。  ◆◆(ここに在った次の文章が削除されている) また1997年には仏教について「明確な信仰の義務さえない自己陶酔」であると批判している[5]。 ◆◆

    ◆ 過去記事: 「ローマ法王の辞意、何から逃げるためか」 に引用した文面と異なる。一文削除。
            http://oriori-info.blog.so-net.ne.jp/2013-02-12-3

発言・活動
    以下は主に教皇在位中の言動である。

(略) 2006年9月12日、ドイツの大学で行った講義の中で、ベネディクト16世はイスラム教の教えの一つであるジハードを批判する発言を行いメディアから批判を受けた。パキスタン議会は、9月15日に彼に発言の撤回を求める非難決議を全会一致で採択した。なお、発言にはイスラムを邪悪で残酷と評した14世紀の東ローマ皇帝マヌエル2世の「ムハンマドは、剣によって信仰を広めよと命じるなど、世界に悪と非人間性をもたらした」という言葉を引用している。 (後略)

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