証拠/ファティマ第3予言は暗殺でない [西欧文明]

                                 (感想) 2000年のこの一件が、
                                         現在のバチカンの本質を物語る、と考え、
                                      前記事の考察となった。

                                     参照: 「法王退位、オリーブ旗・国連が位を退く


ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 ウィーンに居住する筆者が国連記者室から、ウィーンの街角から、国際政治にはじまって宗教、民族、日常の出来事までを思いつくままに書き送ります。

ファティマ第3予言、暗殺でない
    2007年01月25日08:35

http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/50523131.html

 ポーランドのローマ・カトリック教会クラクフ大司教のスタニスラフ・ジヴィシ枢機卿(67)は前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世との思い出を綴った著書「カロルとの日々」(仮称)を発表する。カロルとは、クラクフ大司教時代のヨハネ・パウロ2世の本名「カロル・ボイチワ」を指す。

 同大司教は、1960年代のポーランド教会時代から亡くなるまでヨハネ・パウロ2世の個人秘書を勤めてきた聖職者だ。同大司教以上に前法王を知っている人物は聖職者の中にはいないだろう。その人物が前法王との日々を記述しているのだ。ローマ・カトリック教会信者でなくても、一度は読んでみたい本だろう。「カロルとの日々」はポーランド語の本だ。英語などに翻訳されるまで読む事はできないが、幸い、「ラジオ・バチカン」が24日、その著書の概要を紹介している。

 著書は、故ヨハネ・パウロ2世が1981年、暗殺未遂事件に遭遇して重体となった時の状況を詳細に記述する一方、法王が回復後、拘束中の犯人アリ・アジャ服役囚を訪問した時、アジャは許しを請うのではなく、「どうしてうまく射殺できなかったか」を説明するのに腐心していたという。問題は次だ。「ヨハネ・パウロ2世は最初、自分の暗殺未遂事件をファティマの第3予言と関連して受け取っていなかった」と述懐しているのだ。ファティマの予言とは、聖母マリアが1917年、ポルトガルのファティマに再臨して、羊飼いに託した内容を意味する。

 教理省長官であったヨゼフ・ラツィンガー枢機卿(現ローマ法王べネデイクト16世)は西暦2000年、「第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺を予言したものであった」と公表し、「ファティマの予言」問題に幕を閉じたことを思い出してほしい。しかし、肝心のヨハネ・パウロ2世は当時、自分への暗殺事件と第3予言との関連に何の特別の感慨も持っていなかった、ということが明らかになったのだ。

 「ファティマの第3予言」の内容を知っていた聖職者は当時、2人いた。1人はヨハネ・パウロ2世であり、もう1人はラツィンガー枢機卿だ。その教理省長官が説明するように、第3予言の内容がローマ法王暗殺を指していたとすれば、暗殺未遂事件直後、ヨハネ・パウロ2世はその意味内容を誰よりも理解できる立場にいたはずだ。しかし、ヨハネ・パウロ2世は当時、暗殺事件と第3予言の関連に何も言及していないのだ。これは何を意味するのだろうか(故ヨハネ・パウロ2世自身は著書「記憶とアイデンティティー」の中で、81年の暗殺未遂事件の黒幕を「共産主義国」と示唆している)。

 繰り返すが、ジヴィシ大司教は前法王の言動を誰よりも熟知していた聖職者だ。その大司教が「ヨハン・パウロ2世が暗殺未遂事件をファティマの第3予言との関連性から捉えていなかった」と証言する以上、「第3予言」はまったく別の内容であった可能性が出てくるわけだ。それでは何故、バチカン法王庁は「ローマ法王暗殺事件を予言していた」と発表することで「第3予言」問題に終止符を打とうとしたのだろうか。ファティマの「第3の予言」は依然、封印されていると見て、間違いないのではないか。

タグ:法王
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