東電勝俣、ドバイ超高級マンション生活 [原子力村]
(感想) 勝俣を国会で証人喚問せよ!
日本が法治国家かどうかの試金石。
資本主義の根幹を問う!
「炉が使えなくなる」と、海水注入を許さなかった張本人。
取締役会から、技術者を追い出した確信犯。
東電役員OB海外バブル生活 福島原発事故900日目の「天国と地獄」 vol.1
週刊大衆9月16日号
http://taishu.jp/politics_detail647.php
事故から2年半、いまだ漁業も農業も壊滅状態なのに…
東京電力福島第一原発の事故から900日が過ぎようとしているが、一向に収束の気配は見えない。
「あの事故以来、原発近隣の漁港の漁師は沿岸部のガレキ清掃作業などで、なんとか生計を立ててきたが、もう限界だよ。とにかく、早く漁がしたい……」
福島県内の漁師は、天を仰ぎながら語った。
同じように、いわき市内の農協関係者は、「少しだけ放射線量が下がったことを除いて、事故直後と状況は何も変わっていない。いつになったら本業に戻れるんだろう」と、こちらも慟哭する。
地獄のような日々を過ごしてきた彼らに、追い打ちをかける事態が起こる。
8月21日、福島原発の地上タンクから高濃度汚染水が約300トンも漏れ出している事実が判明したのだ。
「実は、漏れ出したタンクの反対側にある排水弁の周辺でも、高い放射線量を確認済み。東電は今回の汚染水漏れを約90日間見逃してきたことが報じられていますが、異常が見つかったタンク以外でも、放射性セシウム、放射性ストロンチウムを含む汚染水が漏れ、いまも海洋と土壌を汚染し続けている可能性が高いのです」(全国紙社会部記者)
周辺の漁業・農業関係者にとっては今年最悪のニュースとなり、再び苦境に立たされている。
原子力規制委員会が今回の汚染水漏れを「レベル3(重大な異常現象)」と再評価し、韓国では福島県のみならず、日本からの水産品をすべて禁輸しようという動きまである。
もはや、日本の水産業界全体を揺るがす問題にまで発展した。
「ところが、いまも放射能地獄に喘ぐ地元住民を尻目に、事故当時の"戦犯"である東電の旧経営陣は、周囲の目と批判を気にして日本から海外へ逃亡している。特に、事故当時トップだった勝俣恒久・前会長に至っては、中東の至宝といわれるドバイ(UAE)の超高級マンションで"バブル生活"を謳歌しているという話ですからね」(前同)
旧経営陣の多くは事故の責任を取って退任しているが、"我関せず"とばかりに海外で優雅に暮らしているとは信じがたい事実。
いったい彼らに、地元の悲鳴はどう響くのだろうか。
まず、汚染水によって、新たに土壌が汚染される懸念が生じた農業関係者の声を聞いてみよう。
「農協としても組合員が1日でも早く農業を再開できるよう支援していますが、何をするにしても原発事故の影がつきまとい、支援態勢を整えることすらできません。それでも方策を立て一部再開した人もいる。そこへ、今回の汚染水問題が発覚したわけです。ようやく風評被害も収まったのに、"またか!"という憤りを感じています」(新ふくしま農協担当者)
もちろん農家だけではない。
汚染水が流入した海を生業とする福島漁連関係者も、怒りを爆発させる。
「いま福島県内の漁協は、どこも活動していません。昨年6月、相馬双葉漁協でタコやツブ貝などの一部魚種に絞って試験操業を始めました。そして、影響が少ないと判断した16魚種にまで拡大してきました。9月には相馬に続き、いわきでも試験操業を開始する予定で、漁師たちは盛り上がっていたのに……今回の問題で、全部パーになりましたよ!」
これから秋を迎え、各漁港では、アナゴ、カレイ、ヒラメなどの水揚げが期待されていた。
「本当に、本当に……9月の試験操業を目指して頑張ってきたんです。漁師として仕事ができることは、このうえない喜びですから。漁師仲間とともに、日に日にモチベーションが上がっていた矢先ですよ! いまはもう、冷静に考えられる状況ではありません」(いわき漁協担当者)
こうした状況で、すでに廃業を考える漁師も出始めているという。
しかも、漁業関係者を絶望の淵に陥れた汚染水漏れは、東電のズサンな事故処理が原因なのだ。
「そもそも、原発内にある1000基のタンクは、原子炉建屋内に溜まった汚染水を一時保管するために設置されたもの。タンクの継ぎ目の樹脂製パッキンは劣化しやすく、耐用年数はせいぜい5年。初めから漏洩することが懸念されていました」(東電関係者)
9月10日公開のvol.2に続く・・・。
週刊大衆9月16日号
日本が法治国家かどうかの試金石。
資本主義の根幹を問う!
「炉が使えなくなる」と、海水注入を許さなかった張本人。
取締役会から、技術者を追い出した確信犯。
東電役員OB海外バブル生活 福島原発事故900日目の「天国と地獄」 vol.1
週刊大衆9月16日号
http://taishu.jp/politics_detail647.php
事故から2年半、いまだ漁業も農業も壊滅状態なのに…
東京電力福島第一原発の事故から900日が過ぎようとしているが、一向に収束の気配は見えない。
「あの事故以来、原発近隣の漁港の漁師は沿岸部のガレキ清掃作業などで、なんとか生計を立ててきたが、もう限界だよ。とにかく、早く漁がしたい……」
福島県内の漁師は、天を仰ぎながら語った。
同じように、いわき市内の農協関係者は、「少しだけ放射線量が下がったことを除いて、事故直後と状況は何も変わっていない。いつになったら本業に戻れるんだろう」と、こちらも慟哭する。
地獄のような日々を過ごしてきた彼らに、追い打ちをかける事態が起こる。
8月21日、福島原発の地上タンクから高濃度汚染水が約300トンも漏れ出している事実が判明したのだ。
「実は、漏れ出したタンクの反対側にある排水弁の周辺でも、高い放射線量を確認済み。東電は今回の汚染水漏れを約90日間見逃してきたことが報じられていますが、異常が見つかったタンク以外でも、放射性セシウム、放射性ストロンチウムを含む汚染水が漏れ、いまも海洋と土壌を汚染し続けている可能性が高いのです」(全国紙社会部記者)
周辺の漁業・農業関係者にとっては今年最悪のニュースとなり、再び苦境に立たされている。
原子力規制委員会が今回の汚染水漏れを「レベル3(重大な異常現象)」と再評価し、韓国では福島県のみならず、日本からの水産品をすべて禁輸しようという動きまである。
もはや、日本の水産業界全体を揺るがす問題にまで発展した。
「ところが、いまも放射能地獄に喘ぐ地元住民を尻目に、事故当時の"戦犯"である東電の旧経営陣は、周囲の目と批判を気にして日本から海外へ逃亡している。特に、事故当時トップだった勝俣恒久・前会長に至っては、中東の至宝といわれるドバイ(UAE)の超高級マンションで"バブル生活"を謳歌しているという話ですからね」(前同)
旧経営陣の多くは事故の責任を取って退任しているが、"我関せず"とばかりに海外で優雅に暮らしているとは信じがたい事実。
いったい彼らに、地元の悲鳴はどう響くのだろうか。
まず、汚染水によって、新たに土壌が汚染される懸念が生じた農業関係者の声を聞いてみよう。
「農協としても組合員が1日でも早く農業を再開できるよう支援していますが、何をするにしても原発事故の影がつきまとい、支援態勢を整えることすらできません。それでも方策を立て一部再開した人もいる。そこへ、今回の汚染水問題が発覚したわけです。ようやく風評被害も収まったのに、"またか!"という憤りを感じています」(新ふくしま農協担当者)
もちろん農家だけではない。
汚染水が流入した海を生業とする福島漁連関係者も、怒りを爆発させる。
「いま福島県内の漁協は、どこも活動していません。昨年6月、相馬双葉漁協でタコやツブ貝などの一部魚種に絞って試験操業を始めました。そして、影響が少ないと判断した16魚種にまで拡大してきました。9月には相馬に続き、いわきでも試験操業を開始する予定で、漁師たちは盛り上がっていたのに……今回の問題で、全部パーになりましたよ!」
これから秋を迎え、各漁港では、アナゴ、カレイ、ヒラメなどの水揚げが期待されていた。
「本当に、本当に……9月の試験操業を目指して頑張ってきたんです。漁師として仕事ができることは、このうえない喜びですから。漁師仲間とともに、日に日にモチベーションが上がっていた矢先ですよ! いまはもう、冷静に考えられる状況ではありません」(いわき漁協担当者)
こうした状況で、すでに廃業を考える漁師も出始めているという。
しかも、漁業関係者を絶望の淵に陥れた汚染水漏れは、東電のズサンな事故処理が原因なのだ。
「そもそも、原発内にある1000基のタンクは、原子炉建屋内に溜まった汚染水を一時保管するために設置されたもの。タンクの継ぎ目の樹脂製パッキンは劣化しやすく、耐用年数はせいぜい5年。初めから漏洩することが懸念されていました」(東電関係者)
9月10日公開のvol.2に続く・・・。
週刊大衆9月16日号
東電、勝俣前会長等、関連ポストでヌクヌク [原子力村]
(感想) 今の社長の頼りなさ。
お飾り人事で権力温存・・・・そう想像していたが、
やっぱり、元の権力者どもは金の亡者。
原発事故への責任感も、被災者への謝罪の念も無し。
人間じゃ無いなぁ! それが実感。
東電役員OB海外バブル生活 福島原発事故900日目の「天国と地獄」 vol.2
2013年9月10日(火)7時0分配信 デジタル大衆
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/taishu-20130910-pol648/1.htm
汚染水漏れの懸念は専門家が早い段階から指摘していた。
ところが東電の経営陣は、それを知っていながら放置したのだ。
いわき市議会議員の佐藤和良氏が、こう憤る。
「これまで汚染流出を認めなかった東電が今回、やっと認めたという印象です。震災後の4月から細かい漏水などありましたが、"問題なし"としてきました。ところが、溶接すら施していないタンクが水圧に耐えられるはずはなく、300万トンもの漏水が、ついに始まってしまった」
住民の怒りは完全に東電に向いている。昨年6月に地元住民は、勝俣前会長や清水正孝・前社長ら33名を業務上過失致死傷などの疑いで検察庁に刑事告発。
佐藤市議は、その原告団の副団長を務めている。
「彼らは世界最大ともいえる公害を撒き散らしたにもかかわらず、強制捜査すら受けないのは市民感情として納得できません。日本が法治国家である以上、法に則って彼らに責任を負わせるべきです」(前同)
しかし、1年以上経ったいまも、彼らは刑事責任を負わされる気配もなく、平穏に暮らしているというのだ。
政治評論家の本澤二郎氏が語る。
「海外逃亡の事実を知って気分が悪くなりました。ネットサイトやブログでは、もうかなり有名ですが、事故当時の東電首脳部の動向が詳細に書かれています。勝俣前会長は家族とともに海外逃亡中。また、清水前社長も、同じく家族と一緒に海外生活中という話ですからね」
実は、事故後に退陣した旧役員は、東電の関連会社や子会社に"再就職"し、高給取りとして働いていたというから驚く。
退任後の主な動向は以下のとおり。
・勝俣前会長=日本原子力発電社外取締役
・清水前社長=富士石油社外取締役
・武井優副社長(以下当時の役職)=アラビア石油社外監査役
・宮本史昭常務=日本フィールド・エンジニアリング社長
・木村滋取締役=電気事業連合会副会長
連結売上げが約6兆円にも上る東電は多くの関連企業と子会社を持つ。
これまで役員は、退任後も当然のように再就職してきた。
「前代未聞の事故を起こした経営陣までもが"天下り"し、給料を貰い続けています。会長以下、11年に引責辞任した役員20人のうち、8人が該当する。彼らは、甘い汁を吸い続けて税金をムダ遣いする"天下り官僚"と同類ですよ」(全国紙経済部記者)
この中でも、勝俣前会長は"東電のドン"と呼ばれ、批判が集中している。
「勝俣前会長は震災当日、中国へ東電お抱えのマスコミ連中と視察旅行に行き、原発事故対応が後手に回る原因を作った張本人。ところが、今年の6月に日本原子力発電の社外取締役を辞任するまで、1年間も同社から役員報酬を受け取っていたんです」(前同)
その間、福島の農業・漁業関係者は生活の道を断たれ、地獄のような苦しみを味わっているのだ。
「本来なら、私財を投げうってでも福島県民に謝罪すべき立場。それが優雅に暮らしているというのですから、到底、許せる話ではありません」(前出・本澤氏)
9月11日公開のvol.3に続く・・・。
週刊大衆9月16日号
お飾り人事で権力温存・・・・そう想像していたが、
やっぱり、元の権力者どもは金の亡者。
原発事故への責任感も、被災者への謝罪の念も無し。
人間じゃ無いなぁ! それが実感。
東電役員OB海外バブル生活 福島原発事故900日目の「天国と地獄」 vol.2
2013年9月10日(火)7時0分配信 デジタル大衆
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/taishu-20130910-pol648/1.htm
汚染水漏れの懸念は専門家が早い段階から指摘していた。
ところが東電の経営陣は、それを知っていながら放置したのだ。
いわき市議会議員の佐藤和良氏が、こう憤る。
「これまで汚染流出を認めなかった東電が今回、やっと認めたという印象です。震災後の4月から細かい漏水などありましたが、"問題なし"としてきました。ところが、溶接すら施していないタンクが水圧に耐えられるはずはなく、300万トンもの漏水が、ついに始まってしまった」
住民の怒りは完全に東電に向いている。昨年6月に地元住民は、勝俣前会長や清水正孝・前社長ら33名を業務上過失致死傷などの疑いで検察庁に刑事告発。
佐藤市議は、その原告団の副団長を務めている。
「彼らは世界最大ともいえる公害を撒き散らしたにもかかわらず、強制捜査すら受けないのは市民感情として納得できません。日本が法治国家である以上、法に則って彼らに責任を負わせるべきです」(前同)
しかし、1年以上経ったいまも、彼らは刑事責任を負わされる気配もなく、平穏に暮らしているというのだ。
政治評論家の本澤二郎氏が語る。
「海外逃亡の事実を知って気分が悪くなりました。ネットサイトやブログでは、もうかなり有名ですが、事故当時の東電首脳部の動向が詳細に書かれています。勝俣前会長は家族とともに海外逃亡中。また、清水前社長も、同じく家族と一緒に海外生活中という話ですからね」
実は、事故後に退陣した旧役員は、東電の関連会社や子会社に"再就職"し、高給取りとして働いていたというから驚く。
退任後の主な動向は以下のとおり。
・勝俣前会長=日本原子力発電社外取締役
・清水前社長=富士石油社外取締役
・武井優副社長(以下当時の役職)=アラビア石油社外監査役
・宮本史昭常務=日本フィールド・エンジニアリング社長
・木村滋取締役=電気事業連合会副会長
連結売上げが約6兆円にも上る東電は多くの関連企業と子会社を持つ。
これまで役員は、退任後も当然のように再就職してきた。
「前代未聞の事故を起こした経営陣までもが"天下り"し、給料を貰い続けています。会長以下、11年に引責辞任した役員20人のうち、8人が該当する。彼らは、甘い汁を吸い続けて税金をムダ遣いする"天下り官僚"と同類ですよ」(全国紙経済部記者)
この中でも、勝俣前会長は"東電のドン"と呼ばれ、批判が集中している。
「勝俣前会長は震災当日、中国へ東電お抱えのマスコミ連中と視察旅行に行き、原発事故対応が後手に回る原因を作った張本人。ところが、今年の6月に日本原子力発電の社外取締役を辞任するまで、1年間も同社から役員報酬を受け取っていたんです」(前同)
その間、福島の農業・漁業関係者は生活の道を断たれ、地獄のような苦しみを味わっているのだ。
「本来なら、私財を投げうってでも福島県民に謝罪すべき立場。それが優雅に暮らしているというのですから、到底、許せる話ではありません」(前出・本澤氏)
9月11日公開のvol.3に続く・・・。
週刊大衆9月16日号
もんじゅ、汚い日本潰しの見本! [原子力村]
(感想) 家族が納得できない死に方。
検死制度が進まない裏事情が見えてくる。
「西村ファイル」を残してくださって有り難う。
現在の公僕も心せよ!
文殊菩薩の名を汚し、なにが知恵だ。
道徳の基盤の上にしか科学技術は実らないのだ。
ナゾの死を遂げたもんじゅ調査担当者 死の直前の言葉
(2) 原発施設反対派に露骨な“監視”する動燃
(3) 「孤立が効果的」動燃が対立住民に「工作」
(4) ウラン残土問題 対立住民の職場に「圧力」
(5) 動燃の「原発推進」工作で名前の挙がったあの人
(6) 工作疑惑の動燃元次長 「電力業界はいろいろある」
(7) 動燃「組織ぐるみ選挙」示す? 極秘「西村ファイル」
(8) 「仕事ほしければ言うこと聞け」動燃から協力要請か
(9) 動燃を所管する科技庁がNHKの番組に抗議していた
(10) 動燃、反原発派の見学者に大パニック
ナゾの死を遂げたもんじゅ調査担当者 死の直前の言葉
(更新 2013/3/ 6 16:00)
http://dot.asahi.com/news/incident/2013030500067.html
福島第一原発事故から2年。これまで「原子力ムラ」の弊害はさまざまに語られてきたが、彼らがどう結びつき、どう活動していたのか、その実態を示す証拠は少ない。しかし、動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)の総務部次長だった故・西村成生(しげお)氏(当時49)が残した膨大な資料には、そのすべてが記録されていた。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が、この「西村ファイル」を独占入手した。
* * *
西村氏は1996年1月13日、宿泊先のホテルで変死体で発見された。妻と上司、同僚に宛てた3通の遺書が発見され、警察は飛び降り自殺と断定。マスコミでも、“ナゾの死”は大きく報じられた。しかし、妻のトシ子さんはこう話す。
「夫の死について動燃に説明を求めても、ほとんど情報を出してくれない。会社にあったはずの遺品も返してくれず、逆にこちらの動向を探るような対応ばかりだった。遺書の内容や遺体の状況にも不審な点が多く、『これはおかしいな』と思い始めたんです」
不信感を募らせた遺族は、旧動燃を相手どって損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2012年1月、敗訴が確定。しかしいまもトシ子さんは夫の死に疑念を持ち続けている。その理由の一つが、西村さんの残したファイルの存在だった。
中央大学法学部を卒業した69年に動燃に就職した西村氏は、20代半ばでトシ子さんと社内結婚、主に文書課や秘書課など事務畑を歩み、文書課長、総務部次長と順調に出世の階段を上っていった。
「文書課では、科学技術庁や通商産業省など国に提出する文書作成の責任者でした。文書の文言から句読点まで細かく気にしていた。そんな経歴もあって、幹部が出席する会合に同席し、議事録を取ることも重要な仕事でした」(トシ子さん)
几帳面でまじめな性格だった西村氏は、自らの仕事にかかわる資料を逐一、ファイルに収集し、保管し続けていた。そのファイルを読むと、西村さんが長年、家族にも話さなかった“秘密の業務”に従事させられていたことがわかる。西村氏は、動燃のさまざまな“暗部”に触れざるを得ない立場だったのだ。トシ子さんが続ける。
「社内結婚ですから、私も動燃のことはある程度、理解できます。でも、役職が上がるにつれて夫は家で仕事の話をあまりしなくなりました。仕事内容はおろか、出張先すら教えてくれない。亡くなる直前、珍しく会社の話をしたときは、『もんじゅの事故調査を命じられたが、もうイヤだ』と言っていた。残された資料を見て初めて、夫がさまざまなトラブル処理や“工作”にかかわっていたことがわかり、驚きました」
※週刊朝日 2013年3月15日号
原発施設反対派に露骨な“監視”する動燃
(更新 2013/3/ 7 07:00)
http://dot.asahi.com/news/incident/2013030500068.html
1996年1月13日、高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故隠蔽問題について調査を担当していた、西村成生(しげお)氏(当時49)が変死体となって発見された。動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)の総務部次長だった西村氏は生前、動燃のさまざまな“暗部”に触れざるを得ない立場にあった。その西村氏が残した膨大な資料、「西村ファイル」をひもとくと、原発や関連施設をめぐる反対派の市民運動家へ露骨な“監視”の様子が記されていた。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が明らかにする。
* * *
1988年、岡山県と鳥取県の県境にあるウラン鉱山・人形峠で、「ウラン残土問題」をめぐって住民と動燃の対立が起きた。これに関する資料では、動燃が住民について詳細に調べ上げていたことが分かる。住民の名前、生年月日、職業のほか、動燃に対する理解、住民に対する「工作方法」などについても記載があった。調査は家族関係にも及び、多くの世帯で家族の勤務先や家庭事情まで詳細に書かれていた。
動燃は、都会から離れた小さな集落ならではの濃密な人間関係を、巧妙に「工作」に利用しようとしていた。たとえば、地元の有力地権者Aさんの項目には、〈本人は養子のため、養母、妻の意見に従うようである。方面(かたも)地区内の親しい知人、親せき等を説得し理解を求めたい〉
農家Bさんについては、〈本家の○○を使い説得〉などと記載されている。ほかを見ても、「工作」方法はいよいよ具体的だ。
〈地元では、○○と本家分家の関係にある ○○町議→○○→本人の説得〉(県職員Cさん)〈本人は養子のため、実権は養母にある。区内の動きに従うことが多く、婦人会、親せき等の利用も考えられる〉(教員Dさん)
地域独特の本家、分家や養子縁組と言った関係や地区の婦人会などを利用し、「工作」に使おうとしていたのだ。資料には、頻繁に「町議」の名前が出てくる。東郷町議だった前田勝美氏(現・湯梨浜町議)のことだ。本人がこう語る。
「その時の動燃人形峠事業所の所長が私の親類だった関係で、地元住民の説得を頼まれました」
実際、その依頼で住民の説得をしたという。動燃は、政治家まで動員して“懐柔”に動いていたのである。
※週刊朝日 2013年3月15日号
「孤立が効果的」動燃が対立住民に「工作」
(更新 2013/3/ 8 16:00)
http://dot.asahi.com/news/domestic/2013030500069.html
「あれれぇ! この資料、どっから? いや、まいったな。確かに私が作成したものだが、ヤバいよ、これは。わかるでしょう!」
動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)OBの1人は頭に手を当てて何度も天井を仰ぎ、しきりに「まずい、まずい」と繰り返した――。彼がこれほど慌てふためいたのは、高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故隠蔽問題について調査を担当し、1996年1月13日に謎の死を遂げた西村成生(しげお)氏(当時49)の残した「西村ファイル」の存在だった。その中に「方面(かたも)地区住民資料」と題された、A3用紙6枚分にわたる手書きの極秘資料があった。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が明らかにする。
* * *
動燃は1990年前後、岡山県と鳥取県の県境・人形峠の住民と「ウラン残土」撤去をめぐって対立していた。「西村ファイル」には、動燃が地元住民に対して詳細な素行調査や思想チェックを行った驚くべき「工作」の記録が残されていた。
特に反対派住民は入念にマークしていた。反対運動の中心になった住民の榎本益美さん(77)についても、実に細かく調べ上げていた。
〈昨年(88年)8月15日以来、反対の筆頭に立っている〉〈元鉱山労働者として放射能の恐ろしさをPNCが教育していなかった等、被害者意識が強く、市民グループ、社会党、プレス等をバックに「全面撤去」を主張し、全区民を巻き添えにしている〉
さらに榎本さんに対する「工作」方法を具体的に説明している。
〈社会党対策会議の○○(原文は実名、以下同)、共同通信記者、市民グループとの関係を切ることであろうが、当面、本人を孤立させ相手にしないことが効果的である〉
反対運動の中心である榎本さんを地区から孤立させ、周囲の住民から先に切り崩していこうという作戦が読み取れる。この動燃の「工作」は一時は成功し、榎本さんは孤立を深めていた。地元住民の一人は、こんな場面を覚えている。
「ある町議が地区の人間を呼んでウラン残土問題についての説明会を開いたとき、榎本さんが会場にやってくると、町議が『お前は呼んどらん、帰れ!』と怒鳴りつけた。町民を守るはずの議員がなんてことを言うのかと驚いた」
※週刊朝日 2013年3月15日号
ウラン残土問題 対立住民の職場に「圧力」
(更新 2013/3/ 9 07:00)
http://dot.asahi.com/news/domestic/2013030500070.html
これまでたびたび取りざたされてきた「原子力ムラ」の問題。福島第一原発事故でも大きく取り上げられたが、1988年には動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)が岡山県と鳥取県の県境・人形峠の住民と「ウラン残土」撤去をめぐり対立し、問題となっていた。
高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故隠蔽問題について調査を担当し、1996年1月13日に謎の死を遂げた西村成生(しげお)氏(当時49)の残した資料には、人形峠の住民に対する動燃の陰湿な「工作」が克明に記されていた。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が明らかにする。
* * *
資料では、地区の20世帯の住民について、(1)名前(2)生年月日(3)職業(4)PNC(動燃の略称)に対する理解、(5)人脈・本人に対する工作(6)家族関係(7)地権の有無(8)備考――の項目に分け、詳細に調べ上げている。まさに、「思想・素行調査」リストである。
陰湿なのはこれらに加え、勤務先の上司などの上下関係で圧力をかけていた形跡があることだ。県職員Cさんに対しては、〈夫婦の勤務先である鳥取県の上司・幹部を利用する〉
農家のEさんの場合は、〈農協関係者の幹部による説得が必要〉
郵便局員だった地元区長のFさんには、〈郵政関係者(地元局長)、親せき等を動かし、区長としてもう少し積極的な態度をとるように働きかける〉
さらに当時、こうした「工作」方法を検討した人形峠事務所の打ち合わせメモには、所長発言としてこんな記載もあった。
〈有力地権者Aさんには○○自動車を通じて圧力をかけるべきだ〉
本人の勤務先の地元大手バス会社を通じて「圧力」をかけるべきだとはっきり語っているのだ。
※週刊朝日 2013年3月15日号
動燃の「原発推進」工作で名前の挙がったあの人
(更新 2013/3/13 07:00)
http://dot.asahi.com/news/incident/2013031300001.html
週刊朝日が詳報した旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)の「住民工作資料」は、岡山県と鳥取県の県境に位置する人形峠周辺、ウラン鉱山の一つがあった鳥取県東郷町(現・湯梨浜町)方面地区において、組織ぐるみで住民たちの個人情報を集め、「思想チェック」「素行調査」をしていた――というものだった。しかし、旧動燃が手を染めていた「工作」は、それだけではない。〈K機関(後にKチームに改名)特務隊のアクションプログラム 第1案〉と題された内部資料の驚くべき内容を、ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が暴露する。
* * *
「Kチーム」は具体的にどんな工作をしたのか。当時、本社の核燃料サイクル技術開発部の幹部だったY氏が作成した「第1案」は、実に過激だ。
〈JC(青年会議所)ラインの利用 K機関で確保しているタレントとの会談を企画し、洗脳する〉
〈マスコミ対応 (1)K機関タレントの利用 K機関で所掌しているタレントとの会食を通じて洗脳〉
「洗脳」とは穏やかでないが、どうやら「タレントとの会食」というおいしい“エサ”で、動燃シンパを増やそうとしていたようだ。別の資科では、こんな名前が挙がっていた。
〈竹村健一 石原慎太郎の活用〉
〈石原氏へは、アプローチの仕方について要検討〉
評論家の竹村氏と前東京都知事の石原氏は、ともに原発推進派である。資料では動燃と関係が深い大手ゼネコンの名も挙がり、〈協力隊を出してもらう〉との記述もあった。
※週刊朝日 2013年3月22日号
工作疑惑の動燃元次長 「電力業界はいろいろある」
(更新 2013/3/13 11:30)
http://dot.asahi.com/news/incident/2013031300003.html
〈K機関(後にKチームに改名)特務隊のアクションプログラム 第1案〉と題された資料からは、旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)が、“やらせ”や“洗脳”など原発反対阻止のために多くの「工作」を行っていたことがわかる。「原子カムラ」の当事者たちは、一連の資科についてどう説明するのか。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班は、「Kチーム」で「本部キャップ」を務め、当時、本社の総務部次長だったZ氏に話を開いた。
* * *
――「Kチーム」とは何か。
「(驚いて)どこで調べたの? そんな話。Kチームといっても大したことはしてない。回収ウランは問題ないと、近隣市町村に説明に回っただけです。資料も見た記憶がない」
――「Kチーム」の意味はZ氏の頭文字の「K」?
「勝手にそう思ったこともあるが、秘書課の実力者だったKさんのこと、という話もあった。あと『汚い』のKとか。何なんだろうね、という話になっていた」
――「数千万円程度」の予算は、接待などに使ったのか。
「(声を裏返して)数千万円!? 考えられないな。そんなにかかるはずがない。接待も何もしていない」
――(〈新開の活用〉の項目にあった)「やらせ投書」は?
「いろいろやるんですよ……古い話はしたくないのが本音。電力業界はどこの企業も、ほじくり出せばいろんなことがあるかもしれないが」
※週刊朝日 2013年3月22日号
動燃「組織ぐるみ選挙」示す? 極秘「西村ファイル」
(更新 2013/3/21 07:00)
http://dot.asahi.com/news/politics/2013032000014.html
梶山静六3931票――。衆院選を舞台に、旧動燃(現・日本原子力研究開発機構)は原発推進派の自民党候補を応援するため、茨城県東海村で徹底した選挙戦を繰り広げていた。週刊朝日が独占入手した極秘資料「西村ファイル」の中には「組織ぐるみ選挙」の証拠となる記述があった。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が、その驚愕の内容を検証した。
動燃の元総務部次長・西村成生氏が残した膨大な量の資料。「取扱注意」「マル秘」などと書かれた文書も多く、西村氏が従事させられた「秘密の業務」の中でも、とりわけ重要だったことがわかる。
舞台は茨城県東海村。現在、日本原子力研究開発機構(JAEA)が本部を置くこの地は、動燃の前身の原子燃科公社が1957年から拠点とし、81年には日本初の核燃科再処理施設が稼働した。同村は、言わずと知れたJCO臨界事故(99年)の現場であり、日本原子力発電の東海第二原発がある。いわば「原子力ムラ」の“牙城”だ。
資料の多くは、93年の衆院選のときのものだった。宮沢喜一首相(当時)率いる自民党が惨敗し、細川護熙連立政権が誕生。55年体制が崩壊した歴史的選挙である。
中選挙区制だった当時、東海村がある茨城2区は自民党幹事長の梶山静六氏(2000年に他界)、後に通産相となる塚原俊平氏(97年に他界)の2人の自民党候補が票を分け合っていた。動燃は、2人のために猛烈な「集票工作」を行っていた。そのことをはっきり示しているのが、動燃東海事業所総務課が93年6月に作成した〈過去集票実績〉というデータだ。90年の前回衆院選の集票実績として、こう記されている。
梶(梶山氏)約3900名 職員1384名 業者2547名
塚(塚原氏)約2300名 職員784名 業者1495名
実に計6千票以上の票を集めたというのだ。最終的に、この選挙の2人の獲得票のうち東海村票は、梶山氏が4273票、塚原氏が3717票。動燃は、強大な集票力を誇っていたのである。
もっとも、動燃側も違法性を自覚して、内部で検討していたふしがある。マル秘印が書かれた87年9月作成の〈課題〉と題された文書には、〈企業ぐるみ選挙 公選法違反の疑い〉との記述があった。違法行為の危険性をも示唆する書きっぷりだが、それもそのはず、続く記述には、〈資金面での援助〉〈団地内見張りの可否〉など“きな臭い”言葉がちりばめられているのだ。
※週刊朝日 2013年3月29日号
「仕事ほしければ言うこと聞け」動燃から協力要請か
(更新 2013/3/22 07:00)
http://dot.asahi.com/news/incident/2013032100075.html
旧動燃の元総務部次長・西村成生氏が残した極秘資料「西村ファイル」。“原子力ムラ”の暗部にかかわる仕事に従事させられていた西村氏は、すでに謎の死を遂げている。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が独自入手した資料には、原子力ムラが仕掛けた「組織ぐるみ選挙」の動かぬ証拠が記されていた。
1993年の衆院選、茨城1区からは3人の自民党候補が出馬した。後に財務大臣などを歴任し、現在は派閥の領袖となった額賀福志郎衆院議員と、葉梨信行氏(現在は政界引退)、中山利生氏(04年に他界)である。
この選挙区でも「組総ぐるみ選挙」を示す資科が確認された。93年7月1日作成の(マル選 状況報告)は、選挙戦の途中経過の報告だ。そこに、こう書かれていた。
〈取引業者については安推協、及び調達課・工務課が中心となり年間取引額500万円以上198社に協力要請中である〉
大口の取引先を中心に、自民党候補への投票を呼びかけていたのだ。ここにある「安推協」とは、動燃の下で働く業者でつくる「安全推進協議会」のこと。
資料の中には、50社以上の社名や連絡先が書かれた一覧表もあった。従業員に東海村在住者がいる企業のリストだという。それぞれ契約高や従業員数、動燃内に派遣している従業員の人数も記載されていた。
「安推協は、動燃から仕事をもらっている業者の集まり。原発関連からガソリンスタンド、書店まで、ここに名前がないと動燃では仕事ができない。契約高を書いているのは、企業への圧力のため。『仕事がほしければ、言うことを聞け』という意味ですよ」(動燃関係者)
地元有数の大企業である動燃からの「協力要請」を断れる業者があるだろうか。
※週刊朝日 2013年3月29日号
動燃を所管する科技庁がNHKの番組に抗議していた
(更新 2013/3/27 07:00)
http://dot.asahi.com/news/domestic/2013032600036.html
動燃の元総務部次長・西村成生(しげお)氏が残した資料「西村ファイル」。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班がこれまで報じてきたように、旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)を中心とした「原子カムラ」のさまざまな「工作」が記録されていた。そして今回、動燃の所管官庁だった科学技術庁(現在は文部科学省に統合)が、原発を扱ったNHKの番組に抗議していた資料を発見した。
〈科学技術庁とNHKとのやりとり(概略メモ)〉というタイトルのA4用紙1枚分の文書は、1993年5月28日に動燃広報室が作成したものである。欄外には「取扱注意」の印が押されている。内容は、NHKの番組に関するものだ。
93年5月21日と23日、NHKは2回シリーズでドキュメンタリー番組「NHKスペシャル 調査報告 プルトニウム大国・日本」を放送した。
当時、国内では91年に高速増殖原型炉「もんじゅ」が試運転を開始するなど、燃やした核燃料からプルトニウムとウランを取り出す「核燃科サイクル」の試みが本格スタートした。しかし、アメリカなど諸外国からは、核兵器に転用可能なプルトニウムを日本が保有することは「核武装」につながりかねないと危惧する声があがっていた。また、高速増殖炉の開発は海外で次々と頓挫しており、その実現性や経済性などに疑問符がついていた。
こうした問題点を国内外の取材で浮き彫りにしたのが、この番組だった。だが、2回目の放送から5日後の5月28日、NHKの担当ディレクターと科学文化部記者2人が科技庁の原子力局長室で抗議を受けたのだ。
資料には〈16:30~17:50 原子力局長室にて〉とある。会談は、科技庁側が一方的に話す展開だったと思われる。
〈NHKスペシャルに対する不満・誤りは全て言った〉
強い怒りが文面から伝わってくる。資料には、次のようなやり取りが記載されている。
科技庁「技術的に間違いだった。説明の場を設けるべきである」
NHK「その予定はない。しかし上司には伝える」
NHK「番組に対するクレーム、指摘はなかった」
〈STA(科技庁の略称)が報道姿勢を非難したところ、NHKは反論。他の指摘については聞くだけ〉
会談は80分にも及んだものの、両者の主張は平行線を辿り、結論は得られなかった。番組にかかわったNHK関係者が語る。「放送後、科技庁に担当ディレクターらが呼ばれて抗議を受けたと聞いている。番組は当時のNHKが総力を挙げて取り組んだもの。隙がないように相当、知恵を絞って作ったが、国策に正面から疑問を呈する放送内容に納得できなかったのでしょう」。
※週刊朝日 2013年4月5日号
動燃、反原発派の見学者に大パニック
(更新 2013/3/30 07:00)
http://dot.asahi.com/news/domestic/2013032900044.html
旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)の元総務部次長・西村成生(しげお)氏が残した資料「西村ファイル」には、「原子カムラ」が仕掛けたさまざまな「工作」が記録されていた。住民をターゲットにした「思想・素行調査」、地元企業まで巻き込んだ「組総ぐるみ選挙」など露骨な策略の数々――そして今回、資料に記された「見学者」についての対応も、動燃の体質をよく表していた。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が明らかにする。
〈アイリーン・スミス見学受入れの時系列〉という資料には、反原発運動家のアイリーン・美緒子・スミス氏が1990年4月に「もんじゅ」を見学した際の経緯が書かれていた。
スミス氏からもんじゅ見学の申し入れがあったのは2月26日のこと。その後、動燃側と順調に手続きを進めていたが、3月9日に空気が一変する。
〈国際部へアイリーン・スミスが原子力反対派であることが判明したとの連絡〉
どこで調べたのか、見学者が反原発派とわかっただけで“非常事態”であるかのような反応だ。その後、動燃内部で3日間かけて議論が行われた末に、〈アイリーン・スミスが原子力反対派であることが判ったため受入れについて広報、建設本部、総務と協議、検討の結果、受入れはやむをえないと判断〉。
ところがその後、30人ほどの見学団の中に当時、もんじゅの運転差し止めを求めて訴訟を起こしていた原告団のメンバーがいたことから、またも動燃内部は紛糾。この対応について電力各社に問い合わせ、果ては法務省にまで助言を仰いでいる。こんな聞き取り記録が残っていた。
〈事前に通産省に相談し、了解を得た上で受け入れた。(中略)施設そのものはメインコントロール・ルームだけを見せた〉(日本原子力発電)
〈原告本人がガイガーカウンターを持参して、これで測らせてくれと言ったので、東北電力が信用できない(東北電力の測定)のであれば、見学をお断わりすると述べた〉(東北電力)
〈法務省としては、なんとも言えません。(中略)断わるのが普通でしょう。ただ、断わると大変でしょう〉(法務省)
結局、原告による見学は拒否された。
※週刊朝日 2013年4月5日号
検死制度が進まない裏事情が見えてくる。
「西村ファイル」を残してくださって有り難う。
現在の公僕も心せよ!
文殊菩薩の名を汚し、なにが知恵だ。
道徳の基盤の上にしか科学技術は実らないのだ。
ナゾの死を遂げたもんじゅ調査担当者 死の直前の言葉
(2) 原発施設反対派に露骨な“監視”する動燃
(3) 「孤立が効果的」動燃が対立住民に「工作」
(4) ウラン残土問題 対立住民の職場に「圧力」
(5) 動燃の「原発推進」工作で名前の挙がったあの人
(6) 工作疑惑の動燃元次長 「電力業界はいろいろある」
(7) 動燃「組織ぐるみ選挙」示す? 極秘「西村ファイル」
(8) 「仕事ほしければ言うこと聞け」動燃から協力要請か
(9) 動燃を所管する科技庁がNHKの番組に抗議していた
(10) 動燃、反原発派の見学者に大パニック
ナゾの死を遂げたもんじゅ調査担当者 死の直前の言葉
(更新 2013/3/ 6 16:00)
http://dot.asahi.com/news/incident/2013030500067.html
福島第一原発事故から2年。これまで「原子力ムラ」の弊害はさまざまに語られてきたが、彼らがどう結びつき、どう活動していたのか、その実態を示す証拠は少ない。しかし、動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)の総務部次長だった故・西村成生(しげお)氏(当時49)が残した膨大な資料には、そのすべてが記録されていた。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が、この「西村ファイル」を独占入手した。
* * *
西村氏は1996年1月13日、宿泊先のホテルで変死体で発見された。妻と上司、同僚に宛てた3通の遺書が発見され、警察は飛び降り自殺と断定。マスコミでも、“ナゾの死”は大きく報じられた。しかし、妻のトシ子さんはこう話す。
「夫の死について動燃に説明を求めても、ほとんど情報を出してくれない。会社にあったはずの遺品も返してくれず、逆にこちらの動向を探るような対応ばかりだった。遺書の内容や遺体の状況にも不審な点が多く、『これはおかしいな』と思い始めたんです」
不信感を募らせた遺族は、旧動燃を相手どって損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2012年1月、敗訴が確定。しかしいまもトシ子さんは夫の死に疑念を持ち続けている。その理由の一つが、西村さんの残したファイルの存在だった。
中央大学法学部を卒業した69年に動燃に就職した西村氏は、20代半ばでトシ子さんと社内結婚、主に文書課や秘書課など事務畑を歩み、文書課長、総務部次長と順調に出世の階段を上っていった。
「文書課では、科学技術庁や通商産業省など国に提出する文書作成の責任者でした。文書の文言から句読点まで細かく気にしていた。そんな経歴もあって、幹部が出席する会合に同席し、議事録を取ることも重要な仕事でした」(トシ子さん)
几帳面でまじめな性格だった西村氏は、自らの仕事にかかわる資料を逐一、ファイルに収集し、保管し続けていた。そのファイルを読むと、西村さんが長年、家族にも話さなかった“秘密の業務”に従事させられていたことがわかる。西村氏は、動燃のさまざまな“暗部”に触れざるを得ない立場だったのだ。トシ子さんが続ける。
「社内結婚ですから、私も動燃のことはある程度、理解できます。でも、役職が上がるにつれて夫は家で仕事の話をあまりしなくなりました。仕事内容はおろか、出張先すら教えてくれない。亡くなる直前、珍しく会社の話をしたときは、『もんじゅの事故調査を命じられたが、もうイヤだ』と言っていた。残された資料を見て初めて、夫がさまざまなトラブル処理や“工作”にかかわっていたことがわかり、驚きました」
※週刊朝日 2013年3月15日号
◇ ◇ (2) ◇ ◇
原発施設反対派に露骨な“監視”する動燃
(更新 2013/3/ 7 07:00)
http://dot.asahi.com/news/incident/2013030500068.html
1996年1月13日、高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故隠蔽問題について調査を担当していた、西村成生(しげお)氏(当時49)が変死体となって発見された。動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)の総務部次長だった西村氏は生前、動燃のさまざまな“暗部”に触れざるを得ない立場にあった。その西村氏が残した膨大な資料、「西村ファイル」をひもとくと、原発や関連施設をめぐる反対派の市民運動家へ露骨な“監視”の様子が記されていた。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が明らかにする。
* * *
1988年、岡山県と鳥取県の県境にあるウラン鉱山・人形峠で、「ウラン残土問題」をめぐって住民と動燃の対立が起きた。これに関する資料では、動燃が住民について詳細に調べ上げていたことが分かる。住民の名前、生年月日、職業のほか、動燃に対する理解、住民に対する「工作方法」などについても記載があった。調査は家族関係にも及び、多くの世帯で家族の勤務先や家庭事情まで詳細に書かれていた。
動燃は、都会から離れた小さな集落ならではの濃密な人間関係を、巧妙に「工作」に利用しようとしていた。たとえば、地元の有力地権者Aさんの項目には、〈本人は養子のため、養母、妻の意見に従うようである。方面(かたも)地区内の親しい知人、親せき等を説得し理解を求めたい〉
農家Bさんについては、〈本家の○○を使い説得〉などと記載されている。ほかを見ても、「工作」方法はいよいよ具体的だ。
〈地元では、○○と本家分家の関係にある ○○町議→○○→本人の説得〉(県職員Cさん)〈本人は養子のため、実権は養母にある。区内の動きに従うことが多く、婦人会、親せき等の利用も考えられる〉(教員Dさん)
地域独特の本家、分家や養子縁組と言った関係や地区の婦人会などを利用し、「工作」に使おうとしていたのだ。資料には、頻繁に「町議」の名前が出てくる。東郷町議だった前田勝美氏(現・湯梨浜町議)のことだ。本人がこう語る。
「その時の動燃人形峠事業所の所長が私の親類だった関係で、地元住民の説得を頼まれました」
実際、その依頼で住民の説得をしたという。動燃は、政治家まで動員して“懐柔”に動いていたのである。
※週刊朝日 2013年3月15日号
◇ ◇ (3) ◇ ◇
「孤立が効果的」動燃が対立住民に「工作」
(更新 2013/3/ 8 16:00)
http://dot.asahi.com/news/domestic/2013030500069.html
「あれれぇ! この資料、どっから? いや、まいったな。確かに私が作成したものだが、ヤバいよ、これは。わかるでしょう!」
動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)OBの1人は頭に手を当てて何度も天井を仰ぎ、しきりに「まずい、まずい」と繰り返した――。彼がこれほど慌てふためいたのは、高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故隠蔽問題について調査を担当し、1996年1月13日に謎の死を遂げた西村成生(しげお)氏(当時49)の残した「西村ファイル」の存在だった。その中に「方面(かたも)地区住民資料」と題された、A3用紙6枚分にわたる手書きの極秘資料があった。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が明らかにする。
* * *
動燃は1990年前後、岡山県と鳥取県の県境・人形峠の住民と「ウラン残土」撤去をめぐって対立していた。「西村ファイル」には、動燃が地元住民に対して詳細な素行調査や思想チェックを行った驚くべき「工作」の記録が残されていた。
特に反対派住民は入念にマークしていた。反対運動の中心になった住民の榎本益美さん(77)についても、実に細かく調べ上げていた。
〈昨年(88年)8月15日以来、反対の筆頭に立っている〉〈元鉱山労働者として放射能の恐ろしさをPNCが教育していなかった等、被害者意識が強く、市民グループ、社会党、プレス等をバックに「全面撤去」を主張し、全区民を巻き添えにしている〉
さらに榎本さんに対する「工作」方法を具体的に説明している。
〈社会党対策会議の○○(原文は実名、以下同)、共同通信記者、市民グループとの関係を切ることであろうが、当面、本人を孤立させ相手にしないことが効果的である〉
反対運動の中心である榎本さんを地区から孤立させ、周囲の住民から先に切り崩していこうという作戦が読み取れる。この動燃の「工作」は一時は成功し、榎本さんは孤立を深めていた。地元住民の一人は、こんな場面を覚えている。
「ある町議が地区の人間を呼んでウラン残土問題についての説明会を開いたとき、榎本さんが会場にやってくると、町議が『お前は呼んどらん、帰れ!』と怒鳴りつけた。町民を守るはずの議員がなんてことを言うのかと驚いた」
※週刊朝日 2013年3月15日号
◇ ◇ (4) ◇ ◇
ウラン残土問題 対立住民の職場に「圧力」
(更新 2013/3/ 9 07:00)
http://dot.asahi.com/news/domestic/2013030500070.html
これまでたびたび取りざたされてきた「原子力ムラ」の問題。福島第一原発事故でも大きく取り上げられたが、1988年には動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)が岡山県と鳥取県の県境・人形峠の住民と「ウラン残土」撤去をめぐり対立し、問題となっていた。
高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故隠蔽問題について調査を担当し、1996年1月13日に謎の死を遂げた西村成生(しげお)氏(当時49)の残した資料には、人形峠の住民に対する動燃の陰湿な「工作」が克明に記されていた。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が明らかにする。
* * *
資料では、地区の20世帯の住民について、(1)名前(2)生年月日(3)職業(4)PNC(動燃の略称)に対する理解、(5)人脈・本人に対する工作(6)家族関係(7)地権の有無(8)備考――の項目に分け、詳細に調べ上げている。まさに、「思想・素行調査」リストである。
陰湿なのはこれらに加え、勤務先の上司などの上下関係で圧力をかけていた形跡があることだ。県職員Cさんに対しては、〈夫婦の勤務先である鳥取県の上司・幹部を利用する〉
農家のEさんの場合は、〈農協関係者の幹部による説得が必要〉
郵便局員だった地元区長のFさんには、〈郵政関係者(地元局長)、親せき等を動かし、区長としてもう少し積極的な態度をとるように働きかける〉
さらに当時、こうした「工作」方法を検討した人形峠事務所の打ち合わせメモには、所長発言としてこんな記載もあった。
〈有力地権者Aさんには○○自動車を通じて圧力をかけるべきだ〉
本人の勤務先の地元大手バス会社を通じて「圧力」をかけるべきだとはっきり語っているのだ。
※週刊朝日 2013年3月15日号
◇ ◇ (5) ◇ ◇
動燃の「原発推進」工作で名前の挙がったあの人
(更新 2013/3/13 07:00)
http://dot.asahi.com/news/incident/2013031300001.html
週刊朝日が詳報した旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)の「住民工作資料」は、岡山県と鳥取県の県境に位置する人形峠周辺、ウラン鉱山の一つがあった鳥取県東郷町(現・湯梨浜町)方面地区において、組織ぐるみで住民たちの個人情報を集め、「思想チェック」「素行調査」をしていた――というものだった。しかし、旧動燃が手を染めていた「工作」は、それだけではない。〈K機関(後にKチームに改名)特務隊のアクションプログラム 第1案〉と題された内部資料の驚くべき内容を、ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が暴露する。
* * *
「Kチーム」は具体的にどんな工作をしたのか。当時、本社の核燃料サイクル技術開発部の幹部だったY氏が作成した「第1案」は、実に過激だ。
〈JC(青年会議所)ラインの利用 K機関で確保しているタレントとの会談を企画し、洗脳する〉
〈マスコミ対応 (1)K機関タレントの利用 K機関で所掌しているタレントとの会食を通じて洗脳〉
「洗脳」とは穏やかでないが、どうやら「タレントとの会食」というおいしい“エサ”で、動燃シンパを増やそうとしていたようだ。別の資科では、こんな名前が挙がっていた。
〈竹村健一 石原慎太郎の活用〉
〈石原氏へは、アプローチの仕方について要検討〉
評論家の竹村氏と前東京都知事の石原氏は、ともに原発推進派である。資料では動燃と関係が深い大手ゼネコンの名も挙がり、〈協力隊を出してもらう〉との記述もあった。
※週刊朝日 2013年3月22日号
◇ ◇ (6) ◇ ◇
工作疑惑の動燃元次長 「電力業界はいろいろある」
(更新 2013/3/13 11:30)
http://dot.asahi.com/news/incident/2013031300003.html
〈K機関(後にKチームに改名)特務隊のアクションプログラム 第1案〉と題された資料からは、旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)が、“やらせ”や“洗脳”など原発反対阻止のために多くの「工作」を行っていたことがわかる。「原子カムラ」の当事者たちは、一連の資科についてどう説明するのか。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班は、「Kチーム」で「本部キャップ」を務め、当時、本社の総務部次長だったZ氏に話を開いた。
* * *
――「Kチーム」とは何か。
「(驚いて)どこで調べたの? そんな話。Kチームといっても大したことはしてない。回収ウランは問題ないと、近隣市町村に説明に回っただけです。資料も見た記憶がない」
――「Kチーム」の意味はZ氏の頭文字の「K」?
「勝手にそう思ったこともあるが、秘書課の実力者だったKさんのこと、という話もあった。あと『汚い』のKとか。何なんだろうね、という話になっていた」
――「数千万円程度」の予算は、接待などに使ったのか。
「(声を裏返して)数千万円!? 考えられないな。そんなにかかるはずがない。接待も何もしていない」
――(〈新開の活用〉の項目にあった)「やらせ投書」は?
「いろいろやるんですよ……古い話はしたくないのが本音。電力業界はどこの企業も、ほじくり出せばいろんなことがあるかもしれないが」
※週刊朝日 2013年3月22日号
◇ ◇ (7) ◇ ◇
動燃「組織ぐるみ選挙」示す? 極秘「西村ファイル」
(更新 2013/3/21 07:00)
http://dot.asahi.com/news/politics/2013032000014.html
梶山静六3931票――。衆院選を舞台に、旧動燃(現・日本原子力研究開発機構)は原発推進派の自民党候補を応援するため、茨城県東海村で徹底した選挙戦を繰り広げていた。週刊朝日が独占入手した極秘資料「西村ファイル」の中には「組織ぐるみ選挙」の証拠となる記述があった。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が、その驚愕の内容を検証した。
動燃の元総務部次長・西村成生氏が残した膨大な量の資料。「取扱注意」「マル秘」などと書かれた文書も多く、西村氏が従事させられた「秘密の業務」の中でも、とりわけ重要だったことがわかる。
舞台は茨城県東海村。現在、日本原子力研究開発機構(JAEA)が本部を置くこの地は、動燃の前身の原子燃科公社が1957年から拠点とし、81年には日本初の核燃科再処理施設が稼働した。同村は、言わずと知れたJCO臨界事故(99年)の現場であり、日本原子力発電の東海第二原発がある。いわば「原子力ムラ」の“牙城”だ。
資料の多くは、93年の衆院選のときのものだった。宮沢喜一首相(当時)率いる自民党が惨敗し、細川護熙連立政権が誕生。55年体制が崩壊した歴史的選挙である。
中選挙区制だった当時、東海村がある茨城2区は自民党幹事長の梶山静六氏(2000年に他界)、後に通産相となる塚原俊平氏(97年に他界)の2人の自民党候補が票を分け合っていた。動燃は、2人のために猛烈な「集票工作」を行っていた。そのことをはっきり示しているのが、動燃東海事業所総務課が93年6月に作成した〈過去集票実績〉というデータだ。90年の前回衆院選の集票実績として、こう記されている。
梶(梶山氏)約3900名 職員1384名 業者2547名
塚(塚原氏)約2300名 職員784名 業者1495名
実に計6千票以上の票を集めたというのだ。最終的に、この選挙の2人の獲得票のうち東海村票は、梶山氏が4273票、塚原氏が3717票。動燃は、強大な集票力を誇っていたのである。
もっとも、動燃側も違法性を自覚して、内部で検討していたふしがある。マル秘印が書かれた87年9月作成の〈課題〉と題された文書には、〈企業ぐるみ選挙 公選法違反の疑い〉との記述があった。違法行為の危険性をも示唆する書きっぷりだが、それもそのはず、続く記述には、〈資金面での援助〉〈団地内見張りの可否〉など“きな臭い”言葉がちりばめられているのだ。
※週刊朝日 2013年3月29日号
◇ ◇ (8) ◇ ◇
「仕事ほしければ言うこと聞け」動燃から協力要請か
(更新 2013/3/22 07:00)
http://dot.asahi.com/news/incident/2013032100075.html
旧動燃の元総務部次長・西村成生氏が残した極秘資料「西村ファイル」。“原子力ムラ”の暗部にかかわる仕事に従事させられていた西村氏は、すでに謎の死を遂げている。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が独自入手した資料には、原子力ムラが仕掛けた「組織ぐるみ選挙」の動かぬ証拠が記されていた。
1993年の衆院選、茨城1区からは3人の自民党候補が出馬した。後に財務大臣などを歴任し、現在は派閥の領袖となった額賀福志郎衆院議員と、葉梨信行氏(現在は政界引退)、中山利生氏(04年に他界)である。
この選挙区でも「組総ぐるみ選挙」を示す資科が確認された。93年7月1日作成の(マル選 状況報告)は、選挙戦の途中経過の報告だ。そこに、こう書かれていた。
〈取引業者については安推協、及び調達課・工務課が中心となり年間取引額500万円以上198社に協力要請中である〉
大口の取引先を中心に、自民党候補への投票を呼びかけていたのだ。ここにある「安推協」とは、動燃の下で働く業者でつくる「安全推進協議会」のこと。
資料の中には、50社以上の社名や連絡先が書かれた一覧表もあった。従業員に東海村在住者がいる企業のリストだという。それぞれ契約高や従業員数、動燃内に派遣している従業員の人数も記載されていた。
「安推協は、動燃から仕事をもらっている業者の集まり。原発関連からガソリンスタンド、書店まで、ここに名前がないと動燃では仕事ができない。契約高を書いているのは、企業への圧力のため。『仕事がほしければ、言うことを聞け』という意味ですよ」(動燃関係者)
地元有数の大企業である動燃からの「協力要請」を断れる業者があるだろうか。
※週刊朝日 2013年3月29日号
◇ ◇ (9) ◇ ◇
動燃を所管する科技庁がNHKの番組に抗議していた
(更新 2013/3/27 07:00)
http://dot.asahi.com/news/domestic/2013032600036.html
動燃の元総務部次長・西村成生(しげお)氏が残した資料「西村ファイル」。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班がこれまで報じてきたように、旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)を中心とした「原子カムラ」のさまざまな「工作」が記録されていた。そして今回、動燃の所管官庁だった科学技術庁(現在は文部科学省に統合)が、原発を扱ったNHKの番組に抗議していた資料を発見した。
〈科学技術庁とNHKとのやりとり(概略メモ)〉というタイトルのA4用紙1枚分の文書は、1993年5月28日に動燃広報室が作成したものである。欄外には「取扱注意」の印が押されている。内容は、NHKの番組に関するものだ。
93年5月21日と23日、NHKは2回シリーズでドキュメンタリー番組「NHKスペシャル 調査報告 プルトニウム大国・日本」を放送した。
当時、国内では91年に高速増殖原型炉「もんじゅ」が試運転を開始するなど、燃やした核燃料からプルトニウムとウランを取り出す「核燃科サイクル」の試みが本格スタートした。しかし、アメリカなど諸外国からは、核兵器に転用可能なプルトニウムを日本が保有することは「核武装」につながりかねないと危惧する声があがっていた。また、高速増殖炉の開発は海外で次々と頓挫しており、その実現性や経済性などに疑問符がついていた。
こうした問題点を国内外の取材で浮き彫りにしたのが、この番組だった。だが、2回目の放送から5日後の5月28日、NHKの担当ディレクターと科学文化部記者2人が科技庁の原子力局長室で抗議を受けたのだ。
資料には〈16:30~17:50 原子力局長室にて〉とある。会談は、科技庁側が一方的に話す展開だったと思われる。
〈NHKスペシャルに対する不満・誤りは全て言った〉
強い怒りが文面から伝わってくる。資料には、次のようなやり取りが記載されている。
科技庁「技術的に間違いだった。説明の場を設けるべきである」
NHK「その予定はない。しかし上司には伝える」
NHK「番組に対するクレーム、指摘はなかった」
〈STA(科技庁の略称)が報道姿勢を非難したところ、NHKは反論。他の指摘については聞くだけ〉
会談は80分にも及んだものの、両者の主張は平行線を辿り、結論は得られなかった。番組にかかわったNHK関係者が語る。「放送後、科技庁に担当ディレクターらが呼ばれて抗議を受けたと聞いている。番組は当時のNHKが総力を挙げて取り組んだもの。隙がないように相当、知恵を絞って作ったが、国策に正面から疑問を呈する放送内容に納得できなかったのでしょう」。
※週刊朝日 2013年4月5日号
◇ ◇ (10) ◇ ◇
動燃、反原発派の見学者に大パニック
(更新 2013/3/30 07:00)
http://dot.asahi.com/news/domestic/2013032900044.html
旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現・日本原子力研究開発機構)の元総務部次長・西村成生(しげお)氏が残した資料「西村ファイル」には、「原子カムラ」が仕掛けたさまざまな「工作」が記録されていた。住民をターゲットにした「思想・素行調査」、地元企業まで巻き込んだ「組総ぐるみ選挙」など露骨な策略の数々――そして今回、資料に記された「見学者」についての対応も、動燃の体質をよく表していた。ジャーナリストの今西憲之氏と週刊朝日取材班が明らかにする。
〈アイリーン・スミス見学受入れの時系列〉という資料には、反原発運動家のアイリーン・美緒子・スミス氏が1990年4月に「もんじゅ」を見学した際の経緯が書かれていた。
スミス氏からもんじゅ見学の申し入れがあったのは2月26日のこと。その後、動燃側と順調に手続きを進めていたが、3月9日に空気が一変する。
〈国際部へアイリーン・スミスが原子力反対派であることが判明したとの連絡〉
どこで調べたのか、見学者が反原発派とわかっただけで“非常事態”であるかのような反応だ。その後、動燃内部で3日間かけて議論が行われた末に、〈アイリーン・スミスが原子力反対派であることが判ったため受入れについて広報、建設本部、総務と協議、検討の結果、受入れはやむをえないと判断〉。
ところがその後、30人ほどの見学団の中に当時、もんじゅの運転差し止めを求めて訴訟を起こしていた原告団のメンバーがいたことから、またも動燃内部は紛糾。この対応について電力各社に問い合わせ、果ては法務省にまで助言を仰いでいる。こんな聞き取り記録が残っていた。
〈事前に通産省に相談し、了解を得た上で受け入れた。(中略)施設そのものはメインコントロール・ルームだけを見せた〉(日本原子力発電)
〈原告本人がガイガーカウンターを持参して、これで測らせてくれと言ったので、東北電力が信用できない(東北電力の測定)のであれば、見学をお断わりすると述べた〉(東北電力)
〈法務省としては、なんとも言えません。(中略)断わるのが普通でしょう。ただ、断わると大変でしょう〉(法務省)
結局、原告による見学は拒否された。
※週刊朝日 2013年4月5日号
タグ:もんじゅ
福島原発の後始末、作業員守れず恥を知れ [原子力村]
(感想) 労働安全、契約秩序、しっかり管理せよ。
震災、人災、その後始末。
レベルの低さが目に余る。
管理手帳の記録より多く被曝 作業員63人、厚労省調査
朝日新聞デジタル 3月2日(土)9時41分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130302-00000014-asahi-soci
【多田敏男、佐藤純】福島第一原発で事故後に働いた作業員のうち、少なくとも63人が放射線管理手帳に記入された被曝(ひばく)記録よりも実際には高い放射線量を浴びていたことが厚生労働省の調査でわかった。同省は東京電力や元請けに修正を指導したが、連絡がとれない人もいて14人分が今も修正できていない。
2011年11月~12年10月に働いた人を対象に業者に調査・報告させる形で調べた。事故が起きた11年3月から8カ月間の調査は手つかずだ。事故直後は原発構内の線量が高い上、ずさんな被曝管理が横行していたとみられ、手帳の記録が誤ったまま放置されている作業員数はさらに膨らむとみられる。
線量計を鉛カバーで覆って働かせる「被曝隠し」が朝日新聞報道で発覚したことを受け、厚労省は昨年10月、線量計の未装着など19件の不適切事例を確認したと発表。東電と元請け37社に対し、1回の作業ごとに測る「電子型線量計」と長期間の累積を測る「バッジ型線量計」の併用が徹底された11年11月以降について詳しい調査を指示した。その結果、ふたつの線量計の値の差が20%以上あるのに手帳に低い方の値を記入された人が63人見つかった。
.
朝日新聞社
除染作業、4次下請けも…違法状態に監視届かず
2013年 03月02日 14時33分 提供元:読売新聞
http://news.so-net.ne.jp/article/detail/801146/
東京電力福島第一原発事故に伴う除染作業で、暴力団排除のため「下請けは1次まで」とする施行規則に反して、福島県の複数の自治体で2次以降の下請けが入っていることが、読売新聞の取材で分かった。
作業員不足から2次以降の把握に消極的な自治体も少なくなく、行政の監視が形骸化している可能性があり、暴力団が受注に介在するなど違法な派遣を助長しかねない。
除染作業を発注している同県の38市町村を対象に取材し、2自治体が2次以降の存在を認めた。
このうちの一つは「4次下請けまであり、環境省にも報告している」と明言。「除染は大量の作業員が必要。1次下請けだけでは集められない」と訴えた。もう一方も「2次下請けまで報告されている」と語った。それぞれ「人手がなかった」「仕方がない」と話している。ほかの複数の自治体担当者も「2次以降の下請けが入っているかもしれないが、除染は人手不足なので厳しくは監視していない」「暴力団の介入は無視できる問題ではないが、除染も迅速に進めなければいけない」などと苦しい胸の内を明かした。
震災、人災、その後始末。
レベルの低さが目に余る。
管理手帳の記録より多く被曝 作業員63人、厚労省調査
朝日新聞デジタル 3月2日(土)9時41分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130302-00000014-asahi-soci
【多田敏男、佐藤純】福島第一原発で事故後に働いた作業員のうち、少なくとも63人が放射線管理手帳に記入された被曝(ひばく)記録よりも実際には高い放射線量を浴びていたことが厚生労働省の調査でわかった。同省は東京電力や元請けに修正を指導したが、連絡がとれない人もいて14人分が今も修正できていない。
2011年11月~12年10月に働いた人を対象に業者に調査・報告させる形で調べた。事故が起きた11年3月から8カ月間の調査は手つかずだ。事故直後は原発構内の線量が高い上、ずさんな被曝管理が横行していたとみられ、手帳の記録が誤ったまま放置されている作業員数はさらに膨らむとみられる。
線量計を鉛カバーで覆って働かせる「被曝隠し」が朝日新聞報道で発覚したことを受け、厚労省は昨年10月、線量計の未装着など19件の不適切事例を確認したと発表。東電と元請け37社に対し、1回の作業ごとに測る「電子型線量計」と長期間の累積を測る「バッジ型線量計」の併用が徹底された11年11月以降について詳しい調査を指示した。その結果、ふたつの線量計の値の差が20%以上あるのに手帳に低い方の値を記入された人が63人見つかった。
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朝日新聞社
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除染作業、4次下請けも…違法状態に監視届かず
2013年 03月02日 14時33分 提供元:読売新聞
http://news.so-net.ne.jp/article/detail/801146/
東京電力福島第一原発事故に伴う除染作業で、暴力団排除のため「下請けは1次まで」とする施行規則に反して、福島県の複数の自治体で2次以降の下請けが入っていることが、読売新聞の取材で分かった。
作業員不足から2次以降の把握に消極的な自治体も少なくなく、行政の監視が形骸化している可能性があり、暴力団が受注に介在するなど違法な派遣を助長しかねない。
除染作業を発注している同県の38市町村を対象に取材し、2自治体が2次以降の存在を認めた。
このうちの一つは「4次下請けまであり、環境省にも報告している」と明言。「除染は大量の作業員が必要。1次下請けだけでは集められない」と訴えた。もう一方も「2次下請けまで報告されている」と語った。それぞれ「人手がなかった」「仕方がない」と話している。ほかの複数の自治体担当者も「2次以降の下請けが入っているかもしれないが、除染は人手不足なので厳しくは監視していない」「暴力団の介入は無視できる問題ではないが、除染も迅速に進めなければいけない」などと苦しい胸の内を明かした。
原発の地質調査、名前公表で専門家に任せろ [原子力村]
(感想) 事前手渡しそのものを隠蔽したかったけど、
ばれちゃったから、開き直って公表。
だけど、文書を渡した理由や
原電側がこれをどのように使ったかなど、
調査はしない、と問題点はひた隠し。
どうしても必要だからくれ! ということだろ? !!
なぜ必要だったのかが、根本問題ではないか。
敦賀原発が駄目なら、日本原電は終わり。
株主の電力会社9社も、調査の在り方を知りたかった。
安全より金儲けの顛末。
敦賀・破砕帯の公表前文書、審議官が原電側に渡す
2013年 02月02日 01時33分 提供元:読売新聞
http://news.so-net.ne.jp/article/detail/791222/
原子力規制委員会は1日、日本原子力発電敦賀原子力発電所(福井県)敷地内の破砕帯(断層)調査に関し、事務局にあたる原子力規制庁の名雪なゆき哲夫審議官が公表前の文書を原電側に渡したとして、同審議官を同日付で訓告処分とし、更迭したと発表した。
記者会見した規制庁の森本英香ひでか次長は「中立性を重視する規制組織の職員として著しく軽率」としつつ、「個人の過ち」を理由に詳しい調査は行わないと話した。
森本次長らによると、文書は、敦賀原発の原子炉建屋直下を走る断層について、規制委の専門家チームが「活断層の可能性が高い」と結論づけた評価報告書の原案。その内容は、1月28日の評価会合で初めて明らかになった。
名雪審議官は、規制庁では長官、次長に次いで、ナンバー3の審議官3人の1人。地震や津波に対する安全基準作りに携わり、チームの事務方のまとめ役として、現地調査や評価会合での議論を基にした報告書案作成にもかかわっていた。
評価会合6日前の1月22日、「あいさつをしたい」と規制庁を訪れた原電の常務ら3人と、庁舎内の個室で一人で面談し、この場で文書を手渡したという。
翌23日、名雪審議官が文書を渡したことを自己申告して発覚。同庁はこの日以降、名雪審議官をすべての職務から外した。同庁の聞き取りに対し、名雪審議官は「評価会合の議論を実りあるものにしたかった」という趣旨の発言をしているという。だが文書を渡した理由や原電側がこれをどのように使ったかなどについて、森本次長は「承知していない」と回答を避け、審議官個人の過ちだとして調査は行わないとした。
原子力規制庁審議官が活断層内部資料漏らす 訓告処分に
2013年 02月01日 21時01分 提供元:FNNニュース
http://news.so-net.ne.jp/article/photo/791219/
原子力規制庁の審議官が、福井県の敦賀原発の活断層に関する内部資料を、日本原子力発電の幹部に事前に渡していたことがわかり、規制庁はこの審議官を訓告処分とした。原子力規制庁は会見で「原子力規制庁審議官・名雪哲夫を内規に基づく訓告といたしました。中立性を重視する規制組織の職員として、著しく軽率な行為」と述べた。原子力規制庁によると、名雪哲夫審議官は、1月22日、日本原子力発電の常務らと面会した際に、翌週に行われる敦賀原発の活断層に関する会合で使う内部資料の原案を事前に渡していた。規制庁は、資料を渡していたことや、事業者と1人で面会していたことは不適切だとして訓告処分とし、文部科学省に出向させる更迭人事を発表した。規制庁はこうした事態を23日に把握していたが、1日まで公表していなかった。
敦賀原発直下「活断層の可能性高い」…報告書案
2013年 01月28日 21時42分 提供元:読売新聞
http://news.so-net.ne.jp/article/detail/789650/?nv=c_article_related_text
原子力規制委員会の専門家チームは28日、日本原子力発電敦賀原子力発電所(福井県)の2号機原子炉建屋直下を走る破砕帯(断層)「D―1」について、「活断層の可能性が高い」とする報告書案に大筋で合意した。
国の指針は活断層上に原子炉などの設置を認めておらず、規制委が再稼働を認めないとの結論に至る流れが固まった。
1号機(1970年運転開始)直下の断層については判断を見送ったが、規制委は7月に「運転期間を40年に制限」とのルールを導入する。1、2号機とも再稼働を見込めず、廃炉を含めた検討を迫られる。
報告書案は、敷地北部で見つかった新たな断層を「約13万年前以降の活動を否定できず、活断層の可能性が高い」と指摘。これがD―1へと続き、「(敷地内の活断層の)浦底断層と同時に活動し、(2号機の)重要施設に影響を与える恐れがある」と断じた。
ばれちゃったから、開き直って公表。
だけど、文書を渡した理由や
原電側がこれをどのように使ったかなど、
調査はしない、と問題点はひた隠し。
どうしても必要だからくれ! ということだろ? !!
なぜ必要だったのかが、根本問題ではないか。
敦賀原発が駄目なら、日本原電は終わり。
株主の電力会社9社も、調査の在り方を知りたかった。
安全より金儲けの顛末。
敦賀・破砕帯の公表前文書、審議官が原電側に渡す
2013年 02月02日 01時33分 提供元:読売新聞
http://news.so-net.ne.jp/article/detail/791222/
原子力規制委員会は1日、日本原子力発電敦賀原子力発電所(福井県)敷地内の破砕帯(断層)調査に関し、事務局にあたる原子力規制庁の名雪なゆき哲夫審議官が公表前の文書を原電側に渡したとして、同審議官を同日付で訓告処分とし、更迭したと発表した。
記者会見した規制庁の森本英香ひでか次長は「中立性を重視する規制組織の職員として著しく軽率」としつつ、「個人の過ち」を理由に詳しい調査は行わないと話した。
森本次長らによると、文書は、敦賀原発の原子炉建屋直下を走る断層について、規制委の専門家チームが「活断層の可能性が高い」と結論づけた評価報告書の原案。その内容は、1月28日の評価会合で初めて明らかになった。
名雪審議官は、規制庁では長官、次長に次いで、ナンバー3の審議官3人の1人。地震や津波に対する安全基準作りに携わり、チームの事務方のまとめ役として、現地調査や評価会合での議論を基にした報告書案作成にもかかわっていた。
評価会合6日前の1月22日、「あいさつをしたい」と規制庁を訪れた原電の常務ら3人と、庁舎内の個室で一人で面談し、この場で文書を手渡したという。
翌23日、名雪審議官が文書を渡したことを自己申告して発覚。同庁はこの日以降、名雪審議官をすべての職務から外した。同庁の聞き取りに対し、名雪審議官は「評価会合の議論を実りあるものにしたかった」という趣旨の発言をしているという。だが文書を渡した理由や原電側がこれをどのように使ったかなどについて、森本次長は「承知していない」と回答を避け、審議官個人の過ちだとして調査は行わないとした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
原子力規制庁審議官が活断層内部資料漏らす 訓告処分に
2013年 02月01日 21時01分 提供元:FNNニュース
http://news.so-net.ne.jp/article/photo/791219/
原子力規制庁の審議官が、福井県の敦賀原発の活断層に関する内部資料を、日本原子力発電の幹部に事前に渡していたことがわかり、規制庁はこの審議官を訓告処分とした。原子力規制庁は会見で「原子力規制庁審議官・名雪哲夫を内規に基づく訓告といたしました。中立性を重視する規制組織の職員として、著しく軽率な行為」と述べた。原子力規制庁によると、名雪哲夫審議官は、1月22日、日本原子力発電の常務らと面会した際に、翌週に行われる敦賀原発の活断層に関する会合で使う内部資料の原案を事前に渡していた。規制庁は、資料を渡していたことや、事業者と1人で面会していたことは不適切だとして訓告処分とし、文部科学省に出向させる更迭人事を発表した。規制庁はこうした事態を23日に把握していたが、1日まで公表していなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
敦賀原発直下「活断層の可能性高い」…報告書案
2013年 01月28日 21時42分 提供元:読売新聞
http://news.so-net.ne.jp/article/detail/789650/?nv=c_article_related_text
原子力規制委員会の専門家チームは28日、日本原子力発電敦賀原子力発電所(福井県)の2号機原子炉建屋直下を走る破砕帯(断層)「D―1」について、「活断層の可能性が高い」とする報告書案に大筋で合意した。
国の指針は活断層上に原子炉などの設置を認めておらず、規制委が再稼働を認めないとの結論に至る流れが固まった。
1号機(1970年運転開始)直下の断層については判断を見送ったが、規制委は7月に「運転期間を40年に制限」とのルールを導入する。1、2号機とも再稼働を見込めず、廃炉を含めた検討を迫られる。
報告書案は、敷地北部で見つかった新たな断層を「約13万年前以降の活動を否定できず、活断層の可能性が高い」と指摘。これがD―1へと続き、「(敷地内の活断層の)浦底断層と同時に活動し、(2号機の)重要施設に影響を与える恐れがある」と断じた。
タグ:日本原電