法王辞任、住まいも後継も既に根回し [西欧文明]

                                  (一言) 用意周到、「院政」、ということ?


ローマ法王の後継者は誰か?
    NewSphere  2013年02月13日20時38分

http://news.livedoor.com/article/detail/7407709/

 ローマ法王ベネディクト16世(85)は11日、2月末をもって退位する意向を表明した。法王は原則として終身制であり、存命中の退位は極めて異例である。ベネディクト16世はドイツ出身で、2005年4月、前法王の死去を受け、265代目の法王に選出されていた。ローマ法王は、カトリック教会(信徒約11億人)のトップ。なお、後任の法王は、「コンクラーベ」と呼ばれる枢機卿会議で決定する。ローマ法王庁(バチカン)報道官によると、新法王は3月末の復活祭までには選出される見通しだという。
 突然の退位発表を受け、各紙は新法王選出のプロセスや候補者像に注目して報じた。

 まず、新法王の選出に際しては、ベネディクト16世自身の影響が強いだろうと、フィナンシャル・タイムズ紙は報じた。85歳以上はコンクラーベに参加できないものの、開催までの数週間、様々な形で後継者選びに影響を与えると見られている辞任を予測していたイタリアの編集者は、法王が既に根回ししているとみている

 後継者の人物像については、ベネディクト16世や前法王のヨハネ・パウロ2世の伝統主義を受け継ぐ者になるのではと、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は予測している。そもそもコンクラーベを行う枢機卿のほとんどが前法王か現法王に選ばれていることも背景にある。

 一方ニューヨーク・タイムズ紙は、出身がヨーロッパ以外の人物が法王になる可能性について言及している。いまや世界のカトリック教徒の半分以上を占める、南米とアフリカ地域からの選出を期待する声も大きいと報じている。法王になる以前、ベネディクト16世はアフリカ出身の人物を法王に選ぶメリットについて言及したこともあった。実際、今回も前回に続き、ガーナのトゥルクソン枢機卿(64)が有力候補者として報じられている。ただ、バチカン内部では、法王はヨーロッパ出身であるべきという声も根強いため、突然の開催となった今回のコンクラーベでは、大胆な人選はなされないとみられている。


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ローマ教皇、退位後の住まいは?
    2013年2月13日(水)19時46分配信 ナショナルジオグラフィック

http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/ng-20130213-20130213001/1.htm    64217_0_600x450.jpg

 ベネディクト16世の教皇退位後の住居、マーテル・エクレジエ修道院(写真右)。Photograph by Alessandra Tarantino, AP
  (写真: 記事サイトから転載できず、引用元から転載)

 2月11日、高齢を理由にローマ教皇ベネディクト16世が2月28日での退位を表明した。突然の発表に驚きの声も多かったが、バチカンの動向に詳しい人は、数カ月前から何らかの気配を感じていた可能性がある。2012年11月、バチカン庭園内にあるマーテル・エクレジエ(教会の母)修道院で生活していた修道女らが、残り2年の滞在期間を繰り上げて退去していたからだ。同修道院はその後、改装工事で閉鎖が続いている

 退位の発表後に行われた記者会見で、ローマ教皇庁広報部の報道官フェデリコ・ロンバルディ神父は、マーテル・エクレジエ修道院がベネディクト16世の住居になると明らかにした。

 工事が終わるまでは、バチカン宮殿と教皇の別荘で暮らす予定という。ちなみに別荘は、ローマの南東約24キロに位置する湖畔の町カステル・ガンドルフォにある

 バチカン市国のWebサイトによると、前教皇のヨハネ・パウロ2世は、「世界各国の女子修道会に、バチカンでの観想生活を送る場所を提供する」ために1992年、マーテル・エクレジエ修道院を開設した。

 同修道院では、いくつもの女子修道会が5年交代で生活を送ってきた。修道女たちの主な役割は、ラテン語による祈りとグレゴリオ聖歌の詠唱を通じて、ローマ教皇およびローマ・カトリック教会全体を精神的に支援することにある。

 また、教皇が身に着ける法衣の刺しゅうや、住居の隣にある果樹園での果物の有機栽培、バラ園の管理も彼女たちの仕事だった。バチカンの「L'Osservatore Romano」紙が2009年に行ったインタビューで当時の修道院長は、果樹園で摘み取ったオレンジとレモンで特製のマーマレードを作ったところ、ベネディクト16世がいたく気に入ってくれたと話している。

 ベネディクト16世がいつまでマーテル・エクレジエ修道院で暮らすのかは不明だが、3月に行われるコンクラーベ(新しいローマ教皇を選ぶ会議)には参加しないという。ロンバルディ神父は、「今回の退位によって混乱や分裂が生じる事態はない」と強調する。

 また、ベネディクト16世の今後のタイトルについても未定という。ローマ教皇を退位した人物に対して適用される規定や与えられる権限、タイトルについては、教会法で定められておらず、前例も見当たらない。

◆生前に退位した歴代のローマ教皇

 カトリック教会の歴史上、自らの意志で、あるいは強いられて退位したローマ教皇はごくわずか。直近の事例は、およそ600年前の1415年にさかのぼる。

 アメリカ、アラバマ州にあるジャクソンビル州立大学の准教授で歴史学が専門のドナルド・プルードロ(Donald Prudlo)氏は次のように語る。「時のローマ教皇グレゴリウス12世はコンスタンツ公会議において、新たな教皇を選出して教会大分裂(大シスマ)を収拾できるよう、退位に同意した」。

 また、1294年には、選出されてわずか5カ月のケレスティヌス5世が退位している。ベネディクト16世によく似た例として、イタリアをはじめ各国のメディアが引き合いに出す人物である。

「13世紀末、結論に至らぬまま3年近くも続けられたコンクラーベに決着を付けるため、ピエトロという名の敬虔な隠遁修道士がローマ教皇に選ばれた。それがケレスティヌス5世だ」とプルードロ氏は説明する。「高徳な人格ゆえにほぼ満場一致で選ばれたのだが、元来が隠遁者であるせいか、教皇庁のさまざまなやり方に馴染めず、教皇の職務には向いていないと自ら悟ったようだ」。

 退位したケレスティヌス5世は再び隠遁生活に戻り、1296年に死去した。一説には、彼の後を継いだボニファティウス8世の所有する城に幽閉されていたとも言われる。

 ダンテの「神曲・地獄篇」に登場する人物としても広く知られており、死後の1313年には聖人に列せられている。

 ベネディクト16世は2009年に、イタリア中部の町ラクイラにあるケレスティヌス5世の墓を訪れ、その上に自身のパリウム(ローマ教皇の権威を象徴する祭服)を捧げた。今から考えると、自らの退位を暗示する振る舞いだったのかもしれない

Michele Gravino for National Geographic News


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ローマ法王退位のスクープ記者、成功のカギはラテン語
    AFP=時事 2月12日(火)10時52分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130212-00000010-jij_afp-int

【AFP=時事】ローマ法王ベネディクト16世(Benedict XVI)が退位の意向を固めたというニュースを世界のメディアに先駆けてつかんだイタリアの記者が、誰も予測していなかったこのスクープをものにすることができたのは、ラテン語の知識のおかげだった。

 伊ANSA通信のルイジ・コントゥ(Luigi Contu)情報部長はAFPに次のように語った。

「われわれのバチカン専門記者、Giovanna Chirriは法王のスピーチを聞いていた。あるところにくると法王は教皇枢密会議について語るのをやめた。彼女は、法王が『疲れた』『プレッシャーが大きすぎる』『辞めるつもりだ』といった内容を語ったことを聞き取った」

 Chirri記者はすぐさま事実確認のために法王庁のフェデリコ・ロンバルディ(Federico Lombardi)広報局長に電話したが、返答は得られなかった。

 同記者は編集長と交わした白熱した議論の中で、自分のラテン語の能力は十分なので速報を出しても大丈夫だと熱弁した。その後、ロンバルディ広報局長から電話があり、ANSA通信の速報は11日午前11時46分(日本時間同日午後7時46分)、世界各国の報道機関に取り上げられた

 コントゥ情報部長は笑いながら、「将来のジャーナリスト教育にとって人文知識がいかに役立つかを示す機会となった」と語った。

 同僚からの祝福を受けたChirri記者は、マイクロブログのツイッター(Twitter)で「ベネディクト16世のラテン語はとても理解しやすい」と、自身の成功について謙遜しながら語った。【翻訳編集】 AFPBB News

タグ:法王
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